松平頼筠とは? わかりやすく解説

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松平頼筠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/09 01:36 UTC 版)

 
松平 頼筠
時代 江戸時代後期
生誕 享和元年6月13日1801年7月23日
死没 天保10年5月17日1839年6月27日
改名 詮之允(幼名)→頼筠
戒名 又玄院殿道誉上徳先天大居士
墓所 茨城県常陸太田市瑞竜町の瑞龍山
官位 従五位下大炊頭主税頭
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉家慶
常陸宍戸藩
氏族 水戸徳川家支流宍戸松平家
父母 父:徳川治紀、母:八重崎
養父:松平頼敬
兄弟 栢姫、綏姫、徳川従子徳川斉脩
頼恕、鄰姫、規姫、苞姫、徳川斉昭
頼筠、申之允
養兄弟:勝姫
正室:
養子:頼位
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松平 頼筠(まつだいら よりかた)は、江戸時代後期の大名常陸国宍戸藩7代藩主。官位従五位下大炊頭主税頭

生涯

宍戸藩の本家である常陸水戸藩7代藩主・徳川治紀の四男。母は中山慶次郎の娘・八重崎。幼名は詮之允。

文化4年(1807年)、先代藩主の松平頼敬(治紀の従弟にあたる)の死去により、その養嗣子となって跡を継いだ。天保10年(1839年)5月17日に死去し、跡を養嗣子の頼位(頼敬の弟)が継いだ(ただし、前日の5月16日に隠居して家督を譲っていたとも伝わる)。

法号は又玄院殿道誉上徳先天大居士。墓所は茨城県常陸太田市瑞竜町の瑞龍山

系譜





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