水戸徳川家からの歴代住持
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開山 - 清因尼名は小良姫。寛永5年11月9日、江戸山ノ手邸の生まれ。父は徳川頼房。母は藤原氏、興正寺准尊の娘。 寛永11年英勝院の養女となり、翌年得度。同13年11月3日、英勝寺の開山住持に任ぜられた。このとき8歳。実際に入寺したのは寛永19年。慶安元年、英勝院の七回忌に合わせ、常紫衣を許される。元禄8年、68歳の時、住持を清山尼に譲る。享保2年6月8日示寂。90歳。法号は玉峯院満蓮社雄誉即向清因大和尚。 第2代 - 清山尼名は鍋姫。寛文11年8月1日、水戸の生まれ。水戸藩2代藩主徳川光圀の養女。実父は家臣酒井忠治。母は徳川頼房の娘・市姫であるので、姪にあたる。 延宝6年9月江戸に上り、10月光圀の養女となり薙髪。松誉清山と称し、清因尼の法嗣となった。このとき8歳。元禄8年12月23日、清因尼の後をうけて住持となる。享保7年6月27日示寂。52歳。法号は馨香院貞蓮社松誉月牕清山大和尚。 第3代 - 清玉尼名は金姫。正徳2年8月23日、高松の生まれ。父は高松藩3代藩主松平頼豊。母は山本氏。水戸藩4代藩主徳川宗堯は兄である。 享保3年4月江戸に至り、5月清山尼の法嗣となった。このとき7歳。清山尼の死により、享保7年8月22日、11歳の時、薙髪して住持となった。宝暦13年6月8日示寂。52歳。法号は天華院照蓮社常誉完阿心清玉大和尚。 第4代 - 清薫尼名は美奈姫。宝暦8年10月28日、江戸目白台の宍戸藩邸の生まれ。水戸藩5代藩主徳川宗翰の養女。実父は宍戸藩4代藩主松平頼多。母は亀井氏。 宝暦13年5月徳川宗翰の養女となり、8月薙髪。翌明和元年10月27日、英勝寺に入り住持となった。このとき7歳。明和5年8月2日示寂。11歳。法号は玉聖院香蓮社映誉称阿清馨大和尚。 第5代 - 清月尼名は金姫。明和元年9月8日、江戸小石川邸の生まれ。父は水戸藩5代藩主徳川宗翰。母は深瀬氏。 明和7年11月英勝寺に入り、12月1日薙髪、7日住持になった。ときに7歳。母の深瀬氏は金姫に従って英勝寺に入り、のちに剃髪した。文化14年2月8日示寂。54歳。法号は戒光院明蓮社鮮誉浄阿勝海涼心清月大和尚。 第6代 - 清吟尼名は勝姫。文化4年7月17日、江戸大塚の守山藩邸の生まれ。水戸藩7代藩主徳川治紀の養女。実父は松平守山藩4代藩主松平頼慎。母は水戸藩6代藩主徳川治保の娘・雅姫。 文化9年4月伯父の徳川治紀養女となり、10月英勝寺に入り、11月薙髪。ときに6歳。文化14年4月17日、住持となった。嘉永6年7月15日示寂。47歳。法号は英暉院梵蓮社行誉無礙浄光阿任勝清吟大和尚。 この後、約10年間住持がなかった。 第7代 - 清端尼名は正姫。安政5年11月15日、江戸小石川邸の生まれ。父は水戸藩9代藩主徳川斉昭。母は高橋悦子。 元治元年11月6日、幕命により住持となり、29日英勝寺に入った。得誉清端尼と称す。明治2年8月、寺を出て還俗し、異母兄池田慶徳の養女となり、池田家の支族である池田徳澄に嫁いだ。明治6年11月25日東京で没した。16歳。還俗して結婚したため、歴代住持に入れないこともある。
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