水戸徳川家からの歴代住持とは? わかりやすく解説

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水戸徳川家からの歴代住持

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/21 05:00 UTC 版)

英勝寺」の記事における「水戸徳川家からの歴代住持」の解説

開山 - 清因尼名は小良姫寛永5年11月9日江戸山ノ手邸の生まれ。父は徳川頼房。母は藤原氏興正寺准尊娘。 寛永11年英勝院養女となり、翌年得度。同13年11月3日英勝寺開山住持に任ぜられた。このとき8歳実際に入寺したのは寛永19年慶安元年英勝院七回忌合わせ、常紫衣許される元禄8年68歳の時、住持を清山尼に譲る。享保2年6月8日示寂90歳。法号は玉峯院満蓮社雄誉即向清因大和尚第2代 - 清山尼名は鍋姫。寛文11年8月1日水戸生まれ水戸藩2代藩主徳川光圀養女実父家臣酒井忠治。母は徳川頼房の娘・市姫であるので、姪にあたる。 延宝6年9月江戸上り10月光圀養女となり薙髪誉清山と称し清因尼の法嗣となった。このとき8歳元禄8年12月23日清因尼の後をうけて住持となる。享保7年6月27日示寂52歳法号馨香院蓮社誉月牕清山大和尚第3代 - 清玉尼名は金姫正徳2年8月23日高松生まれ。父は高松藩3代藩主松平頼豊。母は山本氏水戸藩4代藩主徳川宗堯は兄である。 享保3年4月江戸至り5月清山尼の法嗣となった。このとき7歳。清山尼の死により、享保7年8月22日11歳の時、薙髪して住持となった宝暦13年6月8日示寂52歳法号天華院照蓮社常誉完阿心清玉大和尚。 第4代 - 清薫尼名は美奈姫。宝暦8年10月28日江戸目白台宍戸藩邸の生まれ水戸藩5代藩主徳川宗翰養女実父宍戸藩4代藩主松平頼多。母は亀井氏宝暦13年5月徳川宗翰養女となり、8月薙髪。翌明和元年10月27日英勝寺入り住持となった。このとき7歳明和5年8月2日示寂11歳法号は玉聖院香蓮社映誉称阿清馨大和尚。 第5代 - 清月尼名は金姫明和元年9月8日江戸小石川邸の生まれ。父は水戸藩5代藩主徳川宗翰。母は深瀬氏。 明和7年11月英勝寺入り12月1日薙髪7日住持になった。ときに7歳。母の深瀬氏は金姫に従って英勝寺入り、のちに剃髪した文化14年2月8日示寂54歳法号は戒光院明蓮社鮮誉浄阿勝海涼心清月大和尚。 第6代 - 清吟尼名は勝姫文化4年7月17日江戸大塚守山藩邸の生まれ水戸藩7代藩主徳川治紀養女実父松平守山藩4代藩主松平頼慎。母は水戸藩6代藩主徳川治保の娘・雅姫文化9年4月伯父徳川治紀養女となり、10月英勝寺入り11月薙髪。ときに6歳文化14年4月17日住持となった嘉永6年7月15日示寂47歳法号は英暉院梵蓮社行誉無礙光阿任勝清吟大和尚この後、約10年住持がなかった。 第7代 - 清端尼名は正姫。安政5年11月15日江戸小石川邸の生まれ。父は水戸藩9代藩主徳川斉昭。母は高橋悦子元治元年11月6日幕命により住持となり、29日英勝寺入った。得誉清端尼と称す明治2年8月、寺を出て還俗し異母兄池田慶徳養女となり、池田家支族である池田徳澄嫁いだ明治6年11月25日東京没した16歳還俗して結婚したため、歴代住持入れないこともある。

※この「水戸徳川家からの歴代住持」の解説は、「英勝寺」の解説の一部です。
「水戸徳川家からの歴代住持」を含む「英勝寺」の記事については、「英勝寺」の概要を参照ください。

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