水戸徳川家臣(水戸藩郷士) 益子氏
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なお、常陸国に残留した、益子一門のうち、益子和泉兼継は寛永10年(1633年)に水戸藩郷士に取り立てられるという。幕紋は梶の葉を用いる。この家系は本姓は紀氏、紀貞政を祖とする益子庄高館城主の家系と伝え、前項の下野国益子氏一族の係塁であることが確認される。代々、陸奥国白河郡棚倉に住む。元和年間(1615年 - 1624年)に常陸国の現在の奥久慈にある小金山群、小久慈山で金の採掘をし、経済力を誇るという。大子村の郷士たる益子氏は益子民部左衛門の代に初代水戸藩主 徳川頼房、二代光圀より13石をもって郷士に取り立てられるといい、益子忠太については、三代綱條の代に30俵を以て郷士に取り立てられたとされる。この水戸藩主三代のうちに郷士に取り立てられた家を旧家17家と称し、益子氏は旧族郷士の筆頭として位置づけられたという。
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