神津カンナ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/02 01:28 UTC 版)
神津 カンナ(こうづ かんな、1958年10月23日[1] - )は、東京都出身の作家、エッセイスト、コメンテーター。本名は神津十月(「しめすへん」の神)、読みは同じ)[1]。
母は女優の中村メイコ、父は作曲家の神津善行。弟は画家の神津善之介。俳優の杉本哲太は妹の神津はづきと結婚しており義弟にあたる。
来歴
1977年、東洋英和女学院高等部(幼稚園から高校まで東洋英和[1])卒業後、ニューヨークへ渡米、1978年9月に入学したサラ・ローレンス大学演劇学科を中退[2][1]。1980年5月帰国、コロンビア大学英語学科に聴講生として通う[1]。後に発表した著書『親離れするときに読む本』を機に作家としての活動を始める。国立女性教育会館運営委員などを務め、現在に至る。
名前の表記を2000年より、本名と同じ「神津十月」の漢字表記に変更した。ニューヨークから1977年12月31日放送の『第28回NHK紅白歌合戦』に紅組応援団長をしていた母・中村メイコに応援の電報を送っている。
日本万国博覧会の開会式中継番組として放送された『幕開く日本万国博』にリポーターとして出演することになっていたが、オンエア当日にカンナが風邪でダウンしたため、この番組への出演を見合わせた(『幕開く日本万国博』には、母・中村メイコがカンナの代理というかたちで出演した)。
2018年、日本相撲協会コンプライアンス委員会外部委員に就任[3]。2022年、女性で初めて日本相撲協会の監事に就任した[4]。
著書
- 『親離れするとき読む本』(集英社文庫)
- 『会えてうれしい花いちもんめ』(集英社文庫)
- 『見えないオシャベリ』(集英社文庫)
- 『カンナの同級生気分』(集英社文庫)
- 『男と女の交差点』(集英社文庫)
- 『胸いっぱいの愛を』(角川文庫)
- 『水燃えて火 - 山師と女優の電力革命』(中央公論新社)
出演番組
- ビートたけしのTVタックル(テレビ朝日、1989年 - 1991年、司会)
- ゆかいな音楽会(TBS、1976年 - 1977年)
- スター千一夜(フジテレビ、1980年 - 1981年、サブ司会)
- 世界まるごとHOWマッチ(毎日放送、不定期出演)
- メイコ&カンナ・奥さんおじゃまします(TBSラジオ)
- メイコのいきいきモーニング(TBSラジオ、1990年 - 2010年)
- 全国こども電話相談室(TBSラジオ、回答者)
- 今晩は! 神津カンナです(文化放送『吉田照美のてるてるワイド』内)
- 神津カンナのあんな話こんな話(ラジオ日本、2011年4月3日 - )
作詞
- アグネス・チャン
- 時の河(1983年、シングル「小さな質問」カップリング)
- 人はなぜ(1983年、シングル「Lady Of The Wind」カップリング)
出演コマーシャル
脚注
神津カンナ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:28 UTC 版)
随筆家。1969年(昭和44年)夏、10歳の時に三島と対談し、カンナが8歳時に作った詩「ふんすい」を何度も朗読した三島は、「素晴らしいね、とてもいい詩だ」と涙をためて褒めたという。どんな本を読んだらいいか質問すると、「おじさんはもうすぐ死ぬけれど、そんなおじさんが、責任をもってあなたに読むことを勧められるのは、辞書だけです」と三島は言ったという。カンナは、その年の秋の楯の会1周年記念パレードに招待されて参列した。
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