ポール・モランとは? わかりやすく解説

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モラン【Paul Morand】

読み方:もらん

1888〜1976]フランス小説家詩人外交官として世界各地駐在異国趣味コスモポリタニズムに立つ新感覚作品書いた。作「夜ひらく」「夜とざす」「恋のヨーロッパ」など。


ポール・モラン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/05 12:57 UTC 版)

ポール・モラン、1925年以前

ポール・モラン(Paul Morand, 1888年3月13日 - 1976年7月24日)は、フランス作家外交官である。短編集『夜ひらく』(1922 年)、『夜とざす』(1923年)[1]で一躍ベストセラー作家となった[2]

経歴

パリ政治学院を卒業後、外交官として各国を回った。その傍ら、詩や小説を書き出し、マルセル・プルーストとも親交を持った。1920年代モダニズム小説として知られる「夜ひらく」(1922年)で一躍有名になった。優雅な紳士で国際情勢にも詳しいモランは、社交界の寵児となった。モランの作品は日本でも、同時期から堀口大學により精力的に翻訳され、日本モダニズム文学に影響を与えた[3]

1925年にバンコクのフランス公使館へ赴任し、その途上、ポール・クローデルを訪ねて日本にも立ち寄った[2]。このときの旅行記に『土地以外何物もない』(Rien que la terre)があり、大阪は産業地獄であると評すなど、日本の印象についても触れている[4][5]

第二次世界大戦中に親独のヴィシー政権の外交官であったため、戦後にナチス・ドイツの協力者として糾弾され、スイス亡命した(この際、同じくスイスに滞在していたココ・シャネルへのインタビューを行った)。長らくフランス文壇への復帰は叶わず、フランスへの帰国が許されたのちは、旅行記の執筆などをしたが、戦前に見られた作家としての勢いは失った[3]。1968年にはアカデミー・フランセーズ会員となった。

作品

  • 夜ひらく(Ouvert la nuit, 1922年)
    • 堀口大學訳 新潮社、1924年。角川文庫、1954年
  • 夜とざす(Fermé la nuit, 1923年)
    • 堀口大學訳 新潮社、1925年。「夜ひらく・夜とざす」 旧新潮文庫、1929年
    • 堀口大學全集 補巻1「飜訳作品」、各・小澤書店、1981年。のち復刻版・日本図書センター
  • レヰスとイレエン (堀口大學訳 第一書房、1925年)
  • 恋の欧羅巴 (堀口大學訳 第一書房、1925年)
  • 三人女 小説 (堀口大學訳 第一書房、1928年)
  • 世界選手 (飯島正訳 白水社、1930年)
  • 白鳥の死 (岡田真吉訳 鱒書房、1940年)
  • 印度ルート (真木昌雄訳 南北社、1942年)
  • 情熱の波 (堀口大學訳 岡倉書房、1946年)
  • 1/4秒に生きる男 (堀口大學訳 講談社 1958年)
  • シャネルの魅惑(L'Allure de Chanel
    • 獅子座の女シャネル (秦早穂子訳、文化出版局 1977年3月)
    • シャネル 人生を語る (山田登世子訳、中公文庫 2007年9月/中央公論新社 2024年6月)
  • 黒い魔術(吉澤英樹訳・解説、未知谷、2018年5月)

脚注

  1. ^ ポオル・モオラン, 堀口大學『夜ひらく ; 夜とざす』7号、新潮社〈新潮文庫〉、1929年。 NCID BA31698441https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000587784-00 
  2. ^ a b 吉澤英樹「モダンの表象としての「外交官=作家」像の虚実 : 米『ヴァニティ・フェア』誌に掲載されたフランス人作家ポール・モランの記事をめぐって」『成城文藝』第237-238号、成城大学文芸学部、2016年12月、79-62頁、 ISSN 0286-5718NAID 120006381148 
  3. ^ a b 大村梓, 大村梓「翻訳家堀口大学を巡る一考察 : ポール・モーランという言説」『山梨国際研究 : 山梨県立大学国際政策学部紀要』第11号、山梨県立大学、2016年3月、1-10頁、 ISSN 2187-4336NAID 120006800558 
  4. ^ 柳沢健巴里を語る』中央公論社、1929年。doi:10.11501/1177995NCID BN12805557NDLJP:1177995https://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001797033-00 
  5. ^ 中島裕之「ポール・モランのコスモポリチスムの変遷 (対東洋)」『フランス語フランス文学研究』第67巻、日本フランス語フランス文学会、1995年、112頁、doi:10.20634/ellf.67.0_112ISSN 0425-4929NAID 110001247451 



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