第2号以降の寄稿者
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「リテラチュール」の記事における「第2号以降の寄稿者」の解説
第2号からトリスタン・ツァラが参加した。彼は1916年にリヒャルト・ヒュルゼンベック、ゾフィー・トイバー、フーゴ・バル、ジャン・アルプ、マルセル・ヤンコ(フランス語版)、ハンス・リヒターらとともにチューリッヒ・ダダを結成し、一切の価値・意味の否定、解体、破壊を主張する「ダダ宣言1918」を発表していた。ツァラはこの後ほぼ毎回寄稿し、1920年1月17日に渡仏し、ブルトンとともにパリ・ダダを率いることになる。 第2号はツァラのほか新たに、ユナニミスム(フランス語版)の文学運動を率いたジュール・ロマン、著書『アメリカ文明の批判』で知られる歴史学者ベルナール・ファイ(フランス語版)が参加し、音楽家ではストラヴィンスキーや6人組の作曲家ダリウス・ミヨー、ジョルジュ・オーリック、画家ではアンドレ・ロートがかなり早い時期から寄稿した。第3号から、ポール・モランとポール・エリュアールが参加。エリュアールはこの後、ブルトン、アラゴン、スーポーとともにダダイスム、シュルレアリスムの運動を率いることになる。同じくダダイスト、シュルレアリストとして活躍した後、対独協力に転じたピエール・ドリュ・ラ・ロシェルは第4号から頻繁に寄稿している。さらに、ルヴェルディ、マックス・ジャコブ、ジャン・コクトーと親交が深く、当時まだ16歳であった作家レイモン・ラディゲや大戦間にパリで活躍したイタリアの詩人ジュゼッペ・ウンガレッティ、キュビスムの擁護者として知られる美術評論家モーリス・レイナル(フランス語版)らが参加した。
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