阿部正勝とは? わかりやすく解説

阿部正勝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/10 10:10 UTC 版)

阿部 正勝(あべ まさかつ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将徳川家の家臣。徳川家康の1歳年長で、家康の幼少期から側近くに仕えた人物である[1]


注釈

  1. ^ 『寛政譜』の阿部家の譜では、正勝と共に熱田で家康に供奉した人物を「天野三之助某」と記す[1]。天野家の譜では康景らが尾張で付き従った(「康景等わづかに三人御小性となりて扈従す」)と記しているが、康景の幼名・通称としては「又五郎」「三郎兵衛」のみを記し、「三之助」はない[4]。『徳川実紀』には「天野三之助康景」の名がある[3]
  2. ^ 家康の元服は天文24年=弘治元年(1555年)とされる[5]
  3. ^ 『寛政譜』によれば、甚四郎は「甘利二郎三郎某」の寝首を取り「偽りて」再び家康に仕えた。このことが「非義」とされ、「始末露見せしにより」家康の命で誅殺された[1]
  4. ^ 『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』では、「伊豆国市原」で5000石とある。「伊豆国市原」の出典は『改正三河後風土記』であるが、同書には「武蔵国市原」「武蔵国鳩具」とする写本もあるという[6]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af 『寛政重修諸家譜』巻第六百三十三「阿部」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第四輯』p.345、『新訂寛政重修諸家譜 第十』p.345。
  2. ^ a b c d e f g h 『寛政重修諸家譜』巻第六百三十三「阿部」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第四輯』p.346、『新訂寛政重修諸家譜 第十』p.346。
  3. ^ a b c 『東照宮御実紀』巻第一・天文十六年、経済雑誌社版『徳川実紀 第一編』p.28
  4. ^ 『寛政重修諸家譜』巻第八百七十七「天野」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第五輯』p.595
  5. ^ 元服と婚姻”. 徳川家康 将軍家蔵書から見るその生涯. 国立公文書館. 2022年7月2日閲覧。
  6. ^ @adderri (2021年4月28日). "伊豆国市原領主阿部伊勢守正勝の家臣小笠原長旨(刀工)。伊豆国市原(5000石)ってマジでどこなんだ?" (ツイート). Twitterより2022年7月2日閲覧
  7. ^ 『寛政重修諸家譜』巻第六百三十三「阿部」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第四輯』pp.344-349、『新訂寛政重修諸家譜 第十』pp.344-349。
  8. ^ a b c d e 『寛政重修諸家譜』巻第六百三十三「阿部」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第四輯』p.344、『新訂寛政重修諸家譜 第十』p.344。


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