阿部定吉などの系統
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/30 14:57 UTC 版)
「阿部氏 (徳川譜代)」の記事における「阿部定吉などの系統」の解説
戦国時代においては、のちの『柳営秘鑑』の中で『安祥譜代7家』の1つに挙げられるほどの古参であり、そこでは下記のように記されている。 一、三河安祥之七御普代、酒井左衛門尉、元来御普代上座、大久保、本多、元来田ニ作(?)、中興ニ至テ美濃守故有之多ニ改。阿部、石川、青山、植村、右七家を云 この当時、著名な人物に徳川家康の祖父・松平清康の時代から松平氏に仕えた阿部定吉がいる。 森山崩れによって主家の存亡が危ぶまれるが、遠征中の主君・清康を殺した張本人というのが定吉の子・阿部正豊であった。遠征先で即座に討ち果たされた正豊について、その罪を問われることなく、その後も松平氏に仕え続けた定吉ではあったが、系統は彼の代で断絶した(もっとも井上氏は定吉の流れといわれる)。 松平氏に仕えた阿部氏は、他にも阿部正勝の系統が知られる。ただし、定吉とのつながりは明確でない。
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