阿部氏 (徳川譜代)
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阿部氏(あべし)は、武家・華族だった日本の氏族。戦国時代に三河の松平氏(のちの徳川氏)に仕え、阿部定時の系統(子孫は阿部定吉など)と阿部忠正の系統(子孫は阿部正勝など)とが知られる。両者の繋がりは不明である。
- ^ a b 小田部雄次 2006, p. 323.
- ^ 小田部雄次 2006, p. 327.
- ^ 大久保利謙 1990, p. 87.
- ^ 華族大鑑刊行会 1990, p. 104.
- ^ 華族大鑑刊行会 1990, p. 402.
- ^ 華族大鑑刊行会 1990, p. 306.
- 1 阿部氏 (徳川譜代)とは
- 2 阿部氏 (徳川譜代)の概要
- 3 参考文献
- 4 関連項目
阿部家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/05 04:42 UTC 版)
1万6000石(譜代) 阿部正春(まさはる)従五位下。伊予守。 阿部正鎮(まさたね)従五位下。因幡守。
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阿部家
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譜代 1万石→1万6千石→1万石 阿部正能 譜代 1万6千石 阿部正春 正能と正春は共に正次の孫であるが、正能は大多喜藩主在任中に正次の甥阿部忠秋の養子となり、その跡を継いで忍藩へ転封した。正春はその後に入れ代わりで岩槻藩から転封してきている。また、正能は大多喜藩時代の1万石を保持したまま転封しており、正春の1万6千石は大多喜新田藩時代からの旧領である。
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