伊沢甲子麿とは? わかりやすく解説

伊沢甲子麿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/29 03:54 UTC 版)

伊沢 甲子麿旧字体伊澤 甲子麿󠄁、いさわ きねまろ、1925年大正14年) - 2016年平成28年))は、日本教育評論家

日本女子経済短期大学教授、愛国学園短期大学教授を歴任。伊沢修二の孫に当たる。三島由紀夫の親友として著名で、保守派の立場で言論活動を行った。

来歴

東京生まれ。伊沢修二の長男で楽石社長の、伊沢勝麻呂の次男として生まれる。大叔父に伊沢多喜男、父の従兄弟に飯沢匡がいる。

國學院大學卒業後、高校教諭を経て、日本女子経済短期大学教授、愛国学園短期大学教授。

著書

  • 『日の丸坊ちゃん』(東洋書房、1957年)
  • 『日本の古代』(高文堂新書、1977年)

共著

  • 日教組と教育』高橋亨共著(明徳出版社、1956年)
  • 『ある教師の宣言』高橋亨共著(大樹書房、1962年)
  • 『歴史への証言 三島由紀夫・鮮血の遺訓』林房雄対談(恒友出版、1971年)

参考文献


伊沢甲子麿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:28 UTC 版)

三島由紀夫」の記事における「伊沢甲子麿」の解説

教育評論家國學院大學在学中1947年昭和22年3月豊川登(学習院教諭ドイツ文学者)と磯部忠正(元学習院長を介して三島知り合い終生友人となった三島との初対面の際、保田與重郎を好きか嫌いか質問され伊沢は、保田を「尊敬する人物」と答え戦後保田戦犯扱いして右翼軍国主義非難する意見真っ向から戦っていると明言し三島から信頼得たという。三島自決1週間前の清水文雄宛の書簡には、〈文壇一人友人なくなり、今では信ずべき友は伊沢氏一人なりました〉と記されている。

※この「伊沢甲子麿」の解説は、「三島由紀夫」の解説の一部です。
「伊沢甲子麿」を含む「三島由紀夫」の記事については、「三島由紀夫」の概要を参照ください。

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