対談・座談・討論
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青春の再建――二十代座談会(光 1947年12月) - 対:中村真一郎、加藤周一、田代正夫、寺沢恒信、石島泰、上野光平、三浦節、升内左紀。実施:9月20日 小説の表現について(序曲 1948年12月) - 対:埴谷雄高、武田泰淳、野間宏、中村真一郎、梅崎春生、寺田透、椎名麟三。実施:10月6日 二十代・三十代・四十代の恋愛観(芸苑 1949年1月) - 対:池田亀鑑、亀井勝一郎、波多野勤子、岡本太郎 舟橋聖一との対話(文學界 1949年3月) - 対:舟橋聖一 パンパンの世界――実態調査座談会(改造 1949年12月) - 対:飯塚浩二、宮城音弥、佐多稲子、森田政次、南博、田中文子、三浦美紀子、北沢とし子、藤沢七生、伊藤あき子 既成劇作家を語る(劇作 1950年1月) - 対:梅田晴夫、矢代静一、戸板康二 新しい文学の方向(展望 1950年2月) - 対:中村光夫、加藤周一、小田切秀雄、野間宏、椎名麟三 三島由紀夫・笠置シズ子 大いに語る――世相 文学 歌(日光 1950年4月) - 対:笠置シズ子 創作批評〈第4回〉(風雪 1950年4月) - 対:河上徹太郎。実施:2月8日 どんな女性に魅力があるか――独身人気者の座談会(主婦之友 1950年9月) - 対:山本嘉次郎、池部良、岡本太郎、小松原博喜、花柳喜章 「女相続人」を観て――映画放談(スクリーン 1950年10月) -対:林芙美子、河盛好蔵、松田ふみ 新しき文学への道――文学の立体化(文藝 1950年10月) - 対:福田恆存、武田泰淳、加藤道夫 人生問答(新潮別巻・人生読本 1951年1月) - 対:久米正雄、林房雄 歌右衛門の美しさ(劇評別冊・六世中村歌右衛門 1951年4月1日) - 対:戸板康二 映画の限界 文学の限界(人間 1951年5月) - 対:吉村公三郎、渋谷実、瓜生忠夫 犬猿問答――自作の秘密を繞って(文學界 1951年6月) - 対:大岡昇平 演劇と文学(文學界 1952年2月) - 対:芥川比呂志 廃墟の誘惑(群像 1952年7月) - 対:中村光夫 日本の短篇小説について(文藝 1952年9月) - 対:川端康成、舟橋聖一、山本健吉、臼井吉見、中島健蔵、青野季吉 僕たちの実体(文藝 1952年12月) - 対:大岡昇平、福田恆存 息子の文才を伸した両親の理解と愛情――親子のはなし(主婦之友 1952年12月) - 対:平岡倭文重、田村秋子。実施:初秋(緑ケ丘・三島宅) 柔道座談会――年齢別選手権大会を見ての…(柔道 1953年1月) - 対:伊原宇三郎、醍醐敏郎、富田常雄、中村常男、真杉静枝、大悟法利雄。実施:前年11月23日(日比谷・陶々亭) 二人の見たパリ(婦人朝日 1953年9月) - 対:越路吹雪 映画と文学のあいだ――映画監督の映画擁護論(改造 1953年12月) - 対:アンドレ・カイヤット。実施:10月 デザイナーのあり方――映画「にっぽん製」を中心に(産業経済新聞 1953年12月) - 対:岩崎春子、伊東絹子 岸田今日子さんと恋愛を語る――三島由紀夫氏の希望対談(主婦の友 1954年9月) -対:岸田今日子 私の文学鑑定(群像 1954年11月) - 対:舟橋聖一 高峰秀子さんと映画・結婚を語る――三島由紀夫氏の希望対談(主婦の友 1954年12月)- 対:高峰秀子 芸術よもやま話(週刊NHK新聞 1955年2月20日)■ - 対:中村歌右衛門。NHKラジオ第一で2月8、15、22日に放送。 シャンソン歌手石井好子さんと語る――三島由紀夫氏の希望対談(主婦の友 1955年3月) - 対:石井好子 三島由紀夫さんに聞く(若人 1955年6月) - 対:川田雄基。実施:3月下旬(緑ケ丘・三島宅) たのしきかな映画(小説公園 1955年12月) - 対:田中澄江、黛敏郎 日本の芸術1 歌舞伎(群像 1956年1月) - 対:坂東三津五郎 三島由紀夫氏訪問(映画の友 1956年1月) - 対:淀川長治。実施場所:歌舞伎座3階稽古部屋 日本の芸術2 新派(群像 1956年2月) - 対:喜多村緑郎 日本の芸術3 能楽(群像 1956年3月) - 対:喜多六平太 ウラーノワのバレエ映画――ロメオとジュリエットの物語(芸術新潮 1956年3月) - 対:谷桃子、松山樹子、芥川也寸志 日本の芸術4 長唄(群像 1956年4月) - 対:杵屋栄蔵 新人の季節(文學界 1956年4月) - 対:石原慎太郎 日本の芸術5 浄瑠璃(群像 1956年5月) - 対:豊竹山城少掾 日本の芸術6 舞踊(群像 1956年6月) - 対:武原はん 戦前派 戦中派 戦後派(文藝 1956年7月) - 対:高見順、堀田善衛、吉行淳之介、村上兵衛、石原慎太郎、木村徳三。実施:5月 日本美の再発見――創作対談(短歌研究 1956年9月) - 対:生方たつゑ。実施場所:練馬区・生方宅 映画・芸術の周辺(スクリーン 1956年9月) - 対:荻昌弘 小説から演劇へ――私はなぜ戯曲を書くか(演劇手帖 1956年11月) - 対:武田泰淳、椎名麟三、安部公房、松島栄一 美のかたち――「金閣寺」をめぐって(文藝 1957年1月) - 対:小林秀雄 愛国心(神戸新聞 1957年2月11日-13日) - 対:永田清、嘉治隆一 協同研究・三島由紀夫の実験歌舞伎(演劇界 1957年5月) - 対:杉山誠、郡司正勝、利倉幸一 ヨーロッパの青春(キング 1957年7月) - 対:犬養道子 涼風をよぶ風流よもやま噺(淡交 1957年9月) - 対:武智鉄二、井口海仙 女はよろめかず(中央公論 1957年9月) - 対:宇野千代 ミュージカルみやげ話(中央公論 1958年3月) - 対:越路吹雪 作家の女性観と結婚観(若い女性 1958年4月) - 対:石原慎太郎 マクアイ・リレー対談(幕間 1958年5月) - 対:中村歌右衛門。実施:4月7日(新橋・金田中) 映画「炎上」を語る(毎日新聞 1958年8月18日) - 対:市川崑、市川雷蔵。実施:8月15日(京橋・大映本社) 狐狗狸の夕べ(宝石 1958年10月) - 対:江戸川乱歩、杉村春子、芥川比呂志、松浦竹夫、山村正夫 やァこんにちは〈日出造見参 第222回〉(週刊読売 1958年10月5日) - 対:近藤日出造 女は悲しくない(若い女性 1959年1月) - 対:有吉佐和子 T・ウィリアムズと語る――紙上録音版(図書新聞 1959年10月10日) - 対:テネシー・ウィリアムズ。実施:9月14日(赤坂・米国大使館文化交換局)。放送・報道:10月2日(ニッポン放送)。9月30日に「T・ウィリアムズ氏の文芸談」として抄録(毎日新聞)。 劇作家のみたニッポン(芸術新潮 1959年11月) - 対:テネシー・ウィリアムズ、オブザーバー参加:フランク・マーロ(秘書)、ドナルド・リチー ニュー・フェイス三島由紀夫“センパイ”フランキー堺と大いに語る(週刊明星 1959年12月6日) - 対:フランキー堺。実施:11月19日 「サロメ」とその舞台(古酒 1960年5月) - 対:矢野峰人、岸田今日子、燕石猷、関川左木夫、太田博。実施:4月16日(渋谷・東横ホール) 外から見た日本(週刊公論 1961年2月13日) - 対:大宅壮一。実施:1月30日(福田家) 世界の旅から帰った三島由紀夫氏――ファニーフェイスtoフェイス(婦人公論 1961年3月) - 対:芳村真理 捨身飼虎(しゃしんしこ)〈希望対談8〉(淡交 1961年8月) - 対:千宗興。実施:6月19日(中洲・其角) 結婚身上相談――雪村さんが三島先生に聞く(若い女性 1961年9月) - 対:雪村いづみ 「薔薇刑」について(カメラ芸術 1962年3月) - 対:細江英公 川端康成氏に聞く(河出書房新社 1962年12月) - 対:川端康成、中村光夫。『文芸読本 川端康成』収録。 現代の文学と大衆(文藝 1963年5月) - 対:川端康成、丹羽文雄、円地文子、井上靖、松本清張 たのしいいじわるデイト――移動座談会(女性セブン 1963年5月5日) - 対:有吉佐和子 子のしつけ親のしつけ――7月のサロン(太陽 1963年7月) - 対:黛敏郎、加藤芳郎、谷川俊太郎、石井好子 七年目の対話(風景 1964年1月) - 対:石原慎太郎 初釜清談(京都新聞 1964年1月5日) - 対:谷崎潤一郎、谷川徹三、佐伯米子、入江相政、千宗興 ヤンキー気質うらおもて(毎日新聞 1964年4月6日) - 対:桂ユキ子、古波蔵保好 歌舞伎滅亡論是非(中央公論 1964年7月) - 対:福田恆存 現代作家はかく考える(群像 1964年9月) - 対:大江健三郎。実施:7月13日 敗者復活五輪大会――雑談・世相整理学(中央公論 1964年12月) - 対:大宅壮一、司馬遼太郎 戦後の日本文学(群像 1965年1月) - 対:伊藤整、本多秋五。実施:前年11月12日 三島文学と国際性(中央公論社 1965年1月) - 対:ドナルド・キーン。『日本の文学69 三島由紀夫』月報。実施:前年6月18日(虎ノ門・福田家) 「源氏物語」と現代(文藝 1965年7月) - 対:瀬戸内晴美、竹西寛子 大谷崎の芸術(中央公論 1965年10月) - 対:舟橋聖一 父・森林太郎(中央公論社 1966年1月) - 対:森茉莉。『日本の文学2 森鴎外(一)』月報。実施:前年11月8日(赤坂・シド) 二十世紀の文学(文藝 1966年2月) - 対:安部公房 ニーチェと現代(中央公論社 1966年2月) - 対:手塚富雄。『世界の名著46 ニーチェ』月報。実施:1月10日(虎ノ門・福田家) なんでもやってのけよう〈連載トップ対談 ふたりで話そう31〉(週刊朝日 1966年8月5日) - 対:團伊玖磨 文武両道(新刊ニュース 1966年9月) - 対:巖谷大四 対話・日本人論(番町書房 1966年10月) - 対:林房雄。 エロチシズムと国家権力(中央公論 1966年11月) - 対:野坂昭如。実施:9月 アメリカとアメリカ人(批評 1966年12月) - 対:村松剛、山崎正和、西義之、佐伯彰一 2・26事件と殉国のロマン(論争ジャーナル 1967年3月) - 対:高橋正衛、土屋道雄、池田弘太郎 文革・黙っていられない!〈日出造対談646回〉(週刊読売 1967年3月31日) - 対:近藤日出造 合理主義と非合理主義――土曜放談(山陽新聞 1967年4月8日) - 対:藤原弘達 われわれはなぜ声明を出したか――芸術は政治の道具か?(中央公論 1967年5月) - 対:川端康成、石川淳、安部公房 文武両道と死の哲学(論争ジャーナル 1967年11月) - 対:福田恆存 反ヒューマニズムの心情と論理(番町書房 1967年11月) - 対:伊藤勝彦。伊藤著『対話・思想と発生』に収録。実施:8月25日(紀尾井町・福田家) 意外な親類――オジとオイ(週刊朝日 1967年12月22日) - 対:磯崎叡。実施場所:丸の内・国鉄副総裁室 ファシストか革命家か(映画芸術 1968年1月) - 対:大島渚。司会:小川徹 武器の快楽――剣豪三島由紀夫とガンマン大藪春彦の決闘(週刊プレイボーイ 1968年1月9日) - 対:大藪春彦 天皇と現代日本の風土(論争ジャーナル 1968年2月) - 対:石原慎太郎 文武の達人 国防を語る――国防対談(国防 1968年4月) - 対:源田実 私の文学を語る(三田文学 1968年4月) - 対:秋山駿。実施1月11日(南馬込・三島宅) 対談・人間と文学(講談社 1968年4月) - 対:中村光夫。実施:前年7月10日、8月17日、9月13日、11月10日 東と西――その接触、交流、反発(読売新聞 1968年5月13日) - 対:ルイス・ディエス・デル・コラール。実施場所:四谷・福田家 12歳のとき映画に開眼したんです〈東和創立40周年を迎えて! 3〉(東和シネクラブ 1968年5月) - 対:小森和子。実施:4月11日(南馬込・三島宅) デカダンス意識と生死観(批評 1968年6月) - 対:埴谷雄高、村松剛 日本を考える――学生文化フォーラム詳細報告(学生評論 1968年7月) - 対:林房雄、村松剛。実施:5月(八王子・大学セミナーハウス) 負けるが勝ち(自由 1968年7月) - 対:福田赳夫 放談・天に代わりて(言論人 1968年7月16日) - 対:小汀利得。実施:7月3日。改題前:「放談・天に代わりて」 討論・現代日本人の思想(原書房 1968年7月) - 対:会田雄次、大島康正、鯖田豊之、西義之、林健太郎、福田恆存、福田信之、村松剛。『国民講座・日本人の再建1討論・現代日本人の思想』に収録。実施:1月14日-15日(箱根湯本・松之茶屋) 戦後のデモクラシーと反抗する世代(論争ジャーナル 1968年8月) - 対:エドワード・G・サイデンステッカー、村松剛 肉体の運動 精神の運動――芸術におけるモラルと技術(文學界 1968年9月) - 対:石川淳 エロス 権力 ユートピア――〈美的日本文化〉論(週刊読書人 1968年11月) - 対:磯田光一、種村季弘 原型と現代小説(批評 1968年12月) - 対:山本健吉、佐伯彰一 安保問題をどう考えたらよいか――腹の底から話そう(現代 1969年1月)- 対:猪木正道 泉鏡花の魅力(中央公論社 1969年1月) - 対:澁澤龍彦。『日本の文学4 尾崎紅葉・泉鏡花』月報。実施:前年11月4日(赤坂・シド) 「葉隠」の魅力(筑摩書房 1969年1月) - 対:相良亨。相良著『日本の思想9 甲陽軍鑑・五輪書・葉隠集』月報。実施:前年11月25日 政治行為の象徴性について――小説家と政治(文學界 1969年2月) - 対:いいだもも。 国家革新の原理――学生とのティーチ・イン(新潮社 1969年4月) - 対:大学生。実施:前年6月16日(一橋大学小平校舎)、前年10月3日(早稲田大学大隈講堂)■、前年11月16日(茨城大学講堂) サムライ(勝利 1969年6月) - 対:中山正敏 討論 三島由紀夫vs.東大全共闘――〈美と共同体と東大闘争〉(新潮社 1969年6月)■ - 対:全共闘。実施:5月13日(駒場・東京大学教養学部900番教室)。 刺客と組長――男の盟約(週刊プレイボーイ 1969年7月8日) - 対:鶴田浩二。改題前「刺客と組長――その時は、お互い日本刀で斬り込むという男の盟約」 おじさまは男として魅力あるわ〈連載対談 カンナ知りたいの2〉(女性自身 1969年7月26日・8月2日) - 対:神津カンナ 十年後、BIセクシャル時代がやってくる?!(小説セブン 1969年9月) - 対:丸山明宏 軍隊を語る(伝統と現代 1969年9月) - 対:末松太平。実施:6月20日 日本は国家か――「権力なき国家」の幻想(読売新聞社 1969年9月) - 対:江藤淳、高坂正堯、山崎正和、武藤光朗。『日本は国家か』に収録。実施:4月12日(平河町・北野アームス日本経済研究所会議室)。日本文化会議「日本は国家か」特別研究会 三島部隊“憂国の真情”(読売新聞 1969年10月21日) - 対:村上兵衛 大いなる過渡期の論理――行動する作家の思弁と責任(潮 1969年11月) - 対:高橋和巳 守るべきものの価値――われわれは何を選択するか(月刊ペン 1969年11月) - 対:石原慎太郎 この激動する時代の中で日本人である私はこう思う(主婦の友 1969年11月) - 対:中丸薫 私小説の底流(中央公論社 1969年12月) - 対:尾崎一雄。『日本の文学52 尾崎一雄・外村繁・上林暁』月報。実施:10月7日(銀座・出井) 現代における右翼と左翼――リモコン左翼に誠なし(流動 1969年12月) - 対:林房雄 戦争の谷間に生きて――青春を語る(学習研究社 1969年12月)■ - 対:徳大寺公英。『現代日本の文学35 三島由紀夫集』月報。実施:11月12日(有楽町・日活ホテル)。 剣か花か――七〇年代乱世・男の生きる道(宝石 1970年1月) - 対:野坂昭如。実施:前年12月末(銀座・マキシム) 二・二六将校と全学連学生との断絶〈財界放談室 堤清二対談6〉(財界 1970年1月1日・15日) - 対:堤清二。実施場所:有楽町・胡蝶 尚武の心と憤怒の抒情――文化・ネーション・革命(日本読書新聞 1970年1月1日〈1969年12月29日・1970年1月5日合併号〉) - 対:村上一郎。 "菊と刀"と論ずる(時の課題 1970年2月) - 対:伊沢甲子麿 中曽根防衛庁長官 作家三島由紀夫氏(朝雲 1970年2月12日) - 対:中曽根康弘 三島由紀夫とジョン・ベスターの対談(1970年2月19日)■ - 対:ジョン・ベスター(英国の翻訳家) - 2013年(平成25年)秋に東京赤坂のTBSのアーカイブ推進部保管の「放送禁止」扱いの放擲テープ群の中から、両者の1時間20分にわたる対談を記録したテープのコピーが見つかったことが2017年(平成29年)1月に公表された。対談は三島が書く予定だったエッセイをべスターが翻訳するにあたり、海外読者の理解を手助けする目的で講談社の仲介により行われたものとみられ、『豊饒の海』第3巻『暁の寺』を脱稿した日に行われたことから2月19日とみられる。対談中、三島は「僕の文学の欠点は、あんまり小説の構成が劇的すぎる」、「死が、肉体の外から中に入ってきた気がする」、「戦後、日本では偽善がひどくなった。その元は平和憲法だ」、音楽への興味は「全然ない」としながらも『獣の戯れ』を書く直前にはベートーヴェンを、『暁の寺』の執筆中にはドビュッシーの曲「シャンソン・ド・ビリティス」を聴くことで「イメージが出てきた」などと話した。また、川端康成については「怖いようなジャンプするんですよ。僕、ああいう文章書けないな、怖くて」などと述べた。 三島文学の背景(国文学 解釈と教材の研究 1970年5月25日) - 対:三好行雄 タルホの世界(中央公論社 1970年6月) - 対:澁澤龍彦。『日本の文学34 内田百閒・牧野信一・稲垣足穂』月報。実施:5月8日(赤坂・シド) エロスは抵抗の拠点になり得るか(潮 1970年7月) - 対:寺山修司 世阿弥の築いた世界(筑摩書房 1970年7月) - 対:ドナルド・キーン、小西甚一。小西編『日本の思想8 世阿弥集』月報。実施:1968年7月12日 現代歌舞伎への絶縁状(芸術生活 1970年10月) - 対:武智鉄二 文学は空虚か(文藝 1970年11月) - 対:武田泰淳。実施:9月14日 破裂のために集中する(中央公論 1970年12月) - 対:石川淳 三島由紀夫対談――ザ・パンチ・パンチ・パンチ(VIVA YOUNG 1970年12月) - 対:高橋基子、シリア・ポール。実施場所:南馬込・三島宅。放送:前年2月3日-5日(ニッポン放送) 戦争映画とやくざ映画(映画芸術 1971年2月) - 対:石堂淑朗。司会:小川徹。実施:前年10月21日(有楽町・フジ・アイス) 三島由紀夫 最後の言葉(図書新聞 1970年12月12日、1971年1月1日)■ - 対:古林尚。実施:11月18日(南馬込・三島宅)。元題は「三島由紀夫対談 いまにわかります――死の一週間前の最期の言葉」、「戦後派作家対談7 もう、この気持は抑えようがない――三島由紀夫 最後の言葉」
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