ウロボロス
『ギュルヴィたぶらかし(ギュルヴィの惑わし)』(スノリ)第34章 ロキと女巨人の間に生まれたミズガルズ蛇を、大神オーディンが深い海の中へ投げこんだ。大洋に横たわる蛇は陸地をとりまくようにして成長し、その口が自分の尻尾を噛むまでになった。
『新編常陸国誌』 地中にいる大魚(大蛇ともいう)が日本国土をとり囲み、首と尾とが茨城県の鹿島郡で出会った。鹿島明神が釘でその首と尾を貫き止めた。この釘が要石(かなめいし)である。それゆえ、この地には地震が少ない〔*要石は、鹿島の神が天から降臨した時に座し給うた石だ、との伝説もある→〔地震〕7の要石の伝説〕。
『南島の神話』(後藤明)第4章「日本神話と南島世界」 とても長い魚「ナエ」が、世界を取り巻いている。ナエは口で自分の尾をくわえて、タガのように日本列島を締めつけているのだ。ナエが口から尾を離すと、タガがゆるんで地震が起こる(種子島の伝承)→〔地震〕7。
『ツァラトゥストラはこう言った』(ニーチェ)「序説」 1羽の鷲が空に大きな輪を描き、その鷲に1匹の蛇が絡まっていて、その蛇は鷲の首に輪のように巻きついていた。ツァラトゥストラは「あれはわたしの動物たちだ」と叫び、鷲と蛇をつねに身近に置いた。
*自分の足を食べる蛸→〔蛸〕1cの『死なない蛸』(萩原朔太郎)。
★2.「自分の足指を用いて妊娠する女」というのは、「自分の尾をくわえる蛇」と同類のものであろう。
足指で孕んだ女 大昔のこと、ナミテという名前の女が海岸に現れた。彼女は自分の足の親指を使って自ら受胎し、2人の息子、カウケとカウケゲヴァラを産んだ。やがてナミテは年老い、「私を殺して、血を竹筒に受け止め、火に入れなさい」と息子たちに言う。息子たちは、たくさんの竹筒に血を詰め、栓をして火に入れる。血が煮えて竹筒が割れ、竹筒と同じ数の人間たちが発生した(東北ニューギニア、カイザー・ヴィルヘルムスラント、モヌムボ族の神話)。
『神異経』「西荒経」 崑崙の西に、犬に似た「混沌」という獣がいる。目が見えず耳が聞こえず、食べた物は口から尻へ素通りする。何もせず無為の状態におり、いつも自分の尾を噛み、くるくる回転して、天を仰いで笑っている。
『ユープケッチャ』(安部公房) ユープケッチャは体長1センチ5ミリの昆虫で、自分の糞を主食とする。移動する必要がないため肢は退化して、なくなってしまった。ユープケッチャは体を左に回転させつつ食べ、食べながら脱糞する。糞はつねにきれいな半円を描く〔*→〔箱船(方舟)〕2の『方舟(はこぶね)さくら丸』にも、自給自足の閉鎖系の象徴として、この虫が出てくる〕
『あたま山』(落語) 桜んぼを食べた男の頭に桜の木が生え、皆が花見に来る。男がうるさがって木を引き抜くと、あとに大きな穴があき、水がたまって池になる。そこへ魚釣り客が大勢来て騒ぐ。男はたまりかねて、自分の頭の池へ身を投げる。
『一千一秒物語』(稲垣足穂)「どうして酔いよりさめたか?」 ある晩、「自分」は唄をうたいながら歩いていて、井戸へ落ちた。誰かが綱を下ろしてくれた。「自分」は、片手にぶら下げていた飲みさしのブランディびんの口から、匍(は)い出してきた。
『マイナス・ゼロ』(広瀬正) 昭和20年(1945)、17歳の伊沢啓子はタイムマシンに乗せられて昭和38年(1963)へ行き、浜田俊夫と出会って関係を持ち、身ごもる。その直後にタイムマシンの誤作動で彼女は昭和2年(1927)へ戻り、それとともに記憶を失う。自分が誰か忘れたまま彼女は翌年昭和3年に女児を産み、「啓子」と名づけて捨て子にする。その後彼女は女優にスカウトされ、小田切美子の芸名を用いる(*→〔同一人物〕1)。捨てられた啓子は、大学講師伊沢に養われ、伊沢啓子となって昭和20年には17歳になる。伊沢啓子は伊沢啓子自身から産み出されたのだった。
*「僕」が江戸時代へ行ってもうけた息子が「僕」の祖父→〔系図〕2dの『御先祖様万歳』(小松左京)。
*息子の夢から生まれた母親が息子を産む→〔母と息子〕3の『なぜ神々は人間をつくったのか』(シッパー)。
★6.自分と交わり自分を産み出した人。父も母も子もすべて「わたし」。
『輪廻の蛇』(ハインライン) 1945年、孤児院の前に棄てられていた女児の「わたし」は、1963年、18歳で妊娠、出産する。その折、「わたし」は実は両性具有者だったことが判明する。以後、「わたし」は男として生きてゆく。1970年、25歳の「わたし(男)」は、タイムマシンで1963年へ戻され、18歳の「わたし(女)」と出会い、関係を持って女児が生まれる。女児はタイムマシンで1945年へ戻され、孤児院の前に棄てられる。タイムマシンを操作したのは、1993年からやって来た未来の「わたし」である。
★7.ヘビ・ガマ・ナメクジ、三すくみのウロボロス。
三すくみの話 ヘビがガマを、ガマがナメクジを、ナメクジがヘビを、追いかけて呑もうとする。3者は丸い輪を描くようにつながる。それぞれがそれぞれを呑み始めるにつれて、輪は小さくなって行く。3者は同じ速さで互いを呑み終わり、呑まれ終わる。その瞬間、3者はパッと消えてなくなった。
ウロボロス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/22 14:21 UTC 版)
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ウロボロス(古代ギリシア語: ουροβóρος)は、古代の象徴の1つで、己の尾を噛んで環となった蛇もしくは竜を図案化したもの。
象徴的意味
ウロボロスには、1体が輪になって自分で自分を食むタイプと、2体が輪になって相食むタイプがある。2体のタイプの場合、1体は何も無い素のままの姿だが(王冠を被っているタイプもあり)、もう1体は1つの王冠と1対の翼と1対の肢がある。
蛇は、脱皮して大きく成長するさまや、長期の飢餓状態にも耐える強い生命力などから、「死と再生」「不老不死」などの象徴とされる。その蛇がみずからの尾を食むことで、始まりも終わりも無い完全なものとしての象徴的意味が備わった。
- 古代後期のアレクサンドリアなどヘレニズム文化圏では、世界創造が全であり一であるといった思想や、完全性、世界の霊などを表した。
- 錬金術では、相反するもの(陰陽など)の統一を象徴するものとして用いられた。
- カール・グスタフ・ユングは、人間精神(プシケ)の元型を象徴するものとした。
ほかにも、「循環性(永劫回帰)」「永続性(永遠・円運動・死と再生・破壊と創造)」「始原性(宇宙の根源)」「無限性(不老不死)」「完全性(全知全能)」など、意味するものは広く、多くの文化・宗教において用いられてきた。
歴史
ウロボロスのイメージは、アステカ、古代中国、ネイティブ・アメリカンなどの文化にも見受けられる。
中国では、新石器時代の北方紅山(ホンシャン)文明(紀元前4700年 - 紀元前2900年)の遺構から、青色蛇紋石で作られた「猪竜/ 玉猪竜(zhūlóng)」(燭陰(Zhulong)とは別)と呼ばれる人工遺物が発掘されている。これは、ブタのような頭と蛇の胴体を持ち、みずからの尾をくわえた姿をしている。
今日見られるウロボロスの起源となる、みずからの尾をくわえた蛇(または竜)の図の原形は、紀元前1600年頃の古代エジプト文明にまでさかのぼる。エジプト神話で、太陽神ラー(レー)の夜の航海を守護する神、メヘンがこれに当たり、ラーの航海を妨害するアペプからラーを守るため、ウロボロスの様にラーを取り囲んでいる。これがフェニキアを経て古代ギリシアに伝わり、哲学者らによって「ウロボロス」の名を与えられた。
語源
「ウロボロス」の語源は、「尾を飲み込む(蛇)」の意の「
((ドラコーン)ウーロボロス)」。その後は、同じく「尾を飲み込む蛇」の意の「 (ウロヴォロス・オフィス)」と表現する。宗教とのかかわり

- 北欧神話では、ミッドガルドを取り巻き、みずからの尾をくわえて眠る「ヨルムンガンド」が登場する。詳細は当該項目参照。
- キリスト教やグノーシス主義では、ウロボロスは物質世界の限界を象徴するものとされた。これは、環状の姿は内側と外側とを生み出し、そこに境界があるととらえたため。また、みずからの身を糧とすることが、世俗的であるとされた。ハンガリーやルーマニアのユニテリアン教会では、教会堂の棟飾りにウロボロスが用いられている。
- ヒンドゥー教では、世界は4頭のゾウに支えられており、そのゾウは巨大なリクガメに支えられ、さらにそのリクガメを、みずからの尾をくわえた蛇が取り巻いているとされている。
- トルテカ文明・アステカ文明では、ケツァルコアトルがみずからの尾を噛んでいる姿で描かれているものがある。
関連項目
ウロボロス(OUROBOROS)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 22:39 UTC 版)
「エースコンバット3 エレクトロスフィア」の記事における「ウロボロス(OUROBOROS)」の解説
全人類に肉体を放棄させ、精神をエレクトロスフィア上に移行させるという目的で武装蜂起したクーデター軍。
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固有名詞の分類
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