鍛冶ヶ野の蛇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/12 03:54 UTC 版)
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鍛冶ヶ野の蛇(かじがやのへび、鍛冶ヶ谷の蛇)は、高知県幡多郡西土佐村(現・四万十市西土佐地区)に伝わる地名由来譚。
概要
昔、山奥の鍛冶屋にいた猟師が、何十貫もある大猪を仕留めた[1]。だが、重すぎて持ち帰ることができなかったので、水神の大蛇が棲んでいるという蛇渕(じゃぶち)の渕の端に猪を置き、手伝いを呼びに村へ向かった[1]。
村人を連れて戻ってみると、蛇渕から現れた大蛇が猪を飲み込みかけていた[1]。猟師は怒り、大蛇が嫌う鉄屑を鍛冶屋から持って来るが既に大蛇はおらず、鉄屑を蛇渕に撒いた[1]。すると大蛇が激怒し、暴風雨が起き、洪水によって山が崩れ、家も流され、村はすべて荒れ野になってしまった[1]。
以来、鍛冶屋が荒れ野にしたも同然のその地を、鍛冶屋にちなんで鍛冶ヶ野または鍛冶ヶ谷と呼んだという[1]。
脚注
参考文献
- 人文社編集部『日本の謎と不思議大全 西日本編』人文社〈ものしりミニシリーズ〉、2006年。ISBN 978-4-7959-1987-7。
- 福田晃・常光徹・斎藤寿始子編『日本の民話を学ぶ人のために』世界思想社、2000年。ISBN 978-4-7907-0839-1。
固有名詞の分類
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