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ジュネ【Jean Genet】


ジャン・ジュネ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/22 13:38 UTC 版)

ジャン・ジュネ
晩年のジュネ(1983年)
誕生 1910年12月19日
フランス共和国パリ
死没 1986年4月15日
フランス、パリ
職業 著作家
ジャンル 小説、詩、戯曲、ノンフィクション
代表作 『花のノートルダム』、『泥棒日記
ウィキポータル 文学
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ジャン・ジュネ(Jean Genet, 1910年12月19日 - 1986年4月15日)は、フランス小説家詩人エッセイスト劇作家であり、政治活動家である。少年期から30代までは、犯罪や放浪を繰り返していた。

経歴

1910年12月19日、家政婦であった母、カミーユ・ガブリエル・ジュネのもとにパリ6区に生まれた。父の名前はフレデリック・ブラン。生後7ヶ月で母に捨てられ、田舎(アリニィ・アン・モルヴァン村, fr)に住む木こりの夫婦(シャルル&ウージェニー・レニエ夫妻)の養子となった。ジュネは学校の成績はよかったものの、犯罪を繰り返すようになった。養母が死亡した後、新たな夫妻(ウージェニーの娘ベルトとその夫アントナン)の養子となったが、繰り返して起こした犯罪のため、15歳のときに感化院に送られた。18歳のときに外国人部隊に志願し入隊するが、後に脱走してフランスを離れ、ヨーロッパを放浪した。この際にも、窃盗や乞食、男娼、わいせつ、麻薬密売といった犯罪を繰り返していた。

ジュネは1930年頃、二十歳の時に、十年間愛していた少女が死に、その命日に「自分が感動するために」詩を書いた。その詩は失われ、残っている処女作が後述する1942年の「死刑囚」である。

1942年、パリの南にあるフレーヌの刑務所(19世紀の末に作られた刑務所で、第二次世界大戦中はドイツ軍がここに政治犯を監禁した)での服役中に「死刑囚」というのちに名高くなる詩(かなり長い)を書き、1945年、もう一篇の詩「死の歩み」とともに、『秘密の歌』として一冊の小さな本とする。長詩「死刑囚」は、二十歳の美青年だった殺人者、モーリス・ピロルジュに捧げられている。

また、ジュネはパリで作家ジャン・コクトーに自分の作品を読ませ、自らの文才を認めさせることに成功し、1944年、文芸誌「ラルバレート」に小説『花のノートルダム』の抜粋が掲載される(これが公に発表されたジュネの最初の作品となる)。

1944年、『薔薇の奇蹟』を執筆。同年、終身禁固刑の求刑を前にジャン・コクトーらが介入し、自由となる。

1947年、『ブレストの乱暴者』や『女中たち』、1949年、『泥棒日記』など戯曲小説を執筆。ジュネによって『泥棒日記』はサルトルと、<カストール>ことボーヴォワールに捧げられた。

1948年、コクトーやジャン=ポール・サルトルらの請願により、大統領の恩赦を獲得する。

1950年、白黒映画 『愛の唄』(Un Chant d'Amour)を制作。映画はこれ1本だが、脚本や戯曲を書いてもいる。この後、サルトルのジュネ論『聖ジュネ』(1952年)もあいまって、執筆活動を数年にわたって止める。その後、1956年に『バルコン』、1961年に『屏風』など戯曲を執筆する。

1967年、自殺未遂を起こす。その後、五月革命に政治参加し、ベトナム戦争反対運動に加わる。徐々に移民問題に関心を寄せるようになる。1970年、黒人自治を目指して闘うブラックパンサー党と行動をともにし、アメリカ中で講演を行なう。同年、PLOの提案でヨルダンに留まり、ヤーセル・アラファートと会見する。以降、精力的な政治活動を続けた。この後も幾度か中東に赴いている。

1982年サブラー・シャティーラ事件を目撃。ブラックパンサー党やPLOなどでの体験は、遺作『恋する虜 パレスチナへの旅』に結実する。

1986年4月15日、パリ13区内で死去。アルベルト・ジャコメッティとの親交はよく知られている[1]

著作(日本語訳)

  • 『ジャン・ジュネ全集』全4巻、新潮社、1968年、復刊1992年。小説と戯曲・詩集
第1巻 葬儀(平井啓之訳) 泥棒日記(朝吹三吉訳)
第2巻 ブレストの乱暴者(澁澤龍彦訳) 花のノートルダム(堀口大學訳)
第3巻 詩篇(平井啓之・小島俊明訳) 薔薇の奇跡(堀口大學訳) 綱渡り芸人・犯罪少年・ジャン・コクトー(曽根元吉訳) ジャコメッティのアトリエ(宮川淳訳) 倒錯者の断章(平井啓之訳)
第4巻 囚人たち・女中たち(水田晴康訳) バルコニー(渡辺守章訳) 黒んぼたち(白井浩司訳) 屏風(渡辺守章訳) 演出者ブランへの手紙(曽根元吉訳)

参考文献

  • エドマンド・ホワイト 『ジュネ伝(上下)』(鵜飼哲・根岸徹郎・荒木敦訳、河出書房新社、2003年)
  • ジャン=ベルナール・モラリー 『ジャン・ジュネ伝』(柴田芳幸訳、リブロポート、1994年)
  • ユリイカ 詩と特集 特集ジャン・ジュネ 生誕一〇〇年記念特集』(2011年1月号、青土社)- 巻末に主要作品解題
  • 『ユリイカ 詩と特集 特集ジャン・ジュネ 牢獄・同性愛・政治』(1992年6月号、青土社)
  • サルトル 『聖ジュネ 演技者と殉教者』 白井浩司平井啓之訳(人文書院「サルトル全集 34・35巻」)
  • ジョルジュ・バタイユ 『文学と悪』(山本功訳、新版・ちくま学芸文庫)- ジュネ論所収
  • ジャック・デリダ『弔鐘』- ヘーゲル及びジュネ論
  • タハール・ベン・ジェルーン『嘘つきジュネ』(岑村傑訳、インスクリプト、2018年) - 晩年期のジュネの回想録
  • 飯島耕一「青海波――あるいは吉岡実をめぐる走り書」(「現代詩読本」1991年4月、思潮社

脚注

  1. ^ 『アルベルト・ジャコメッティのアトリエ』(全集第3巻に宮川淳訳/鵜飼哲編訳 現代企画室 1999年)
  2. ^ 原題 執筆年/初出版年
  3. ^ 「澁澤龍彦翻訳全集 10」河出書房新社 にも収録。



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