ジャン・ジョルカエフとは? わかりやすく解説

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ジャン・ジョルカエフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/23 06:31 UTC 版)

ジャン・ジョルカエフ
2014年のジョルカエフ
名前
ラテン文字 Jean Djorkaeff
基本情報
国籍 フランス
アルメニア
生年月日 (1939-10-27) 1939年10月27日(83歳)
出身地 シャルヴュー=シャヴァニュー
身長 173cm
選手情報
ポジション DF (RSB)
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1958-1966 オリンピック・リヨン 155 (18)
1966-1970 オリンピック・マルセイユ 139 (12)
1970-1972 パリ・サンジェルマンFC 64 (7)
1972-1974 パリFC 64 (3)
通算 422 (40)
代表歴
1964-1972 フランス 48 (3)
監督歴
1972 パリFC
1981-1983 グルノーブル・フット38
1983-1984 ASサンテティエンヌ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ジャン・ジョルカエフ(Jean Djorkaeff、1939年10月27日 -)は、フランスの元サッカー選手サッカー指導者。ポジションはDF(センターバック)。息子のユーリもサッカー選手で、フランス代表として1998年のFIFAワールドカップ・フランス大会優勝や2000年のUEFA欧州選手権優勝に貢献した[1]

経歴

ジョルカエフはフランス南東部のイゼール県シャルヴュー=シャヴァニューで生まれたが、民族的にはカルムイク系の出身である[2]。1958年にオリンピック・リヨンで選手経歴を開始し、同年12月28日のリモージュFC戦でリーグデビューを飾った。当初はFWとしてプレーをしていたが、後にDFへコンバートされ、センターバックとして顕著な活躍をみせた。リヨンでは16シーズンを過ごし、1964年のクープ・ドゥ・フランス優勝に貢献するなど500試合以上に出場した。

1966年からはオリンピック・マルセイユへ移籍し1969年のクープ・ドゥ・フランス優勝に貢献。その後、パリ・サンジェルマンFCパリFCを渡り歩き、1974年に現役を引退した。

フランス代表としては、1964年10月4日のルクセンブルク戦で代表デビューを飾り、1966年のFIFAワールドカップ・イングランド大会に出場するなど国際Aマッチ48試合に出場し3得点を記録した。

引退後は指導者の道へ進み、グルノーブル・フット38ASサンテティエンヌの監督を務めた。その後はフランスサッカー連盟に勤務し、2000年からはクープ・ドゥ・フランス実行委員会の責任者を務めている。

脚注

外部リンク




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