吉岡実とは? わかりやすく解説

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吉岡実

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/23 13:43 UTC 版)

吉岡実(1959年)

吉岡 実(よしおか みのる、1919年4月15日 - 1990年5月31日)は、日本の詩人装丁家

シュールレアリスム的な幻視の詩風で、戦後のモダニズム詩の代表的詩人である。全286篇の詩作品と190点近い装丁作品を遺した。別号、皚寧吉など。

生涯

1919年、東京市本所に生れる。「一度兵隊で外地へでた以外東京を離れたことがない」 1934年、本所高等小学校を卒業後、本郷の医学出版社・南山堂に奉公。向島商業学校の夜間部に通うも中退する。 1938年8月南山堂を退社し厩橋の実家に帰る。9月夢香洲書塾(佐藤春陵宅)に身を寄せ書塾を手伝う。 1940年西村書店へ入社。 詩歌集『昏睡季節』を刊行。

1941年の夏、召集令状を持った「郵便夫」がやって来て、吉岡は二日間のうちに二十一歳の詩集『液體』を整理編集し、原稿を小林梁、池田行之の二人に委ねた。その後、吉岡は「酷寒の満州」駐屯の若い一兵士として、「馬糞臭い兵隊の手に」(輜重兵として満洲を転戦、軍馬係であったので)、内地から送られて来た自分の詩集(『液體』、1941年12月10日刊行)を受け取った。 1945年11月 復員。12月香柏書房に入社。 1946年 同僚の日高真也に誘われて「新思潮」に入る。10月東洋堂へ入社。 1947年「新思潮」二号に二篇の詩が掲載され、初めての原稿料五〇円を貰う。 1949年 梅の瑞泉寺へ椿作二郎、田尻春夢、池田行宇らと吟行。 1951年筑摩書房に入社。 1955年8月詩集『静物』(私家版)発行 1956年2月下旬、偶然、飯島耕一に出会い、『静物』を渡し、あまりにも反響がないので詩をやめようと思うと語ったが、飯島はそれはいけないと引き止めた。勧められ〈今日の会〉に入り詩誌「ユリイカ」周辺の詩人、評論家たちを知る。新しい友を得て、また書き始める。当時、飯島は二十代半ばで吉岡の十一歳年下だった。 1957年「ユリイカ」四月号に詩「僧侶」を発表。 1958年「ユリイカ」七月号に初めての長篇詩「死児」を発表。十一月、詩集『僧侶』四〇〇部、書肆ユリイカより刊行。 1959年一月、『僧侶』第九回H氏賞受賞。五月九日、和田陽子と結婚。記念に小歌集『魚藍』私家版刊行。飯島耕一、岩田宏、大岡信、清岡卓行と同人詩誌「鰐」を創刊(書肆ユリイカ発行)。今日の詩人双書の一冊として『吉岡実詩集』を書肆ユリイカより刊行 1967年十月、全詩集的な『吉岡実詩集』を思潮社より刊行。「現代詩手帖」十月号で特集・吉岡実の世界。筑摩書房では、取締役も務め、1978年まで在籍した。

詩集『静物』(1955年)、詩集『紡錘形』(1962年)、詩集『静かな家』(1968年)、詩集『神秘的な時代の詩』(1974年)などを刊行した。

詩集『僧侶』(1958年)で第9回H氏賞、『サフラン摘み』(1976年)で第7回高見順賞、『薬玉』(1983年)で第22回藤村記念歴程賞を受賞した。

吉岡はいよいよ晩年に近い日に佐渡へ行った。1989年4月1日、新潟市美術館西脇順三郎の回顧展のオープニングがあり、東京からも何人もの詩人が新潟市へ行き、多くの人は一泊して帰ったが、吉岡実は一人の編集者と佐渡へ渡った。

1990年5月31日、急性腎不全のため東京共済病院で死去。享年71。戒名は永康院徳相実道居士[1]

妻の陽子は和田芳恵の娘。

主な著書

詩集

  • 昏睡季節(草蝉舎、1940年)
  • 液体(草蝉舎、1941年・湯川書房、1971年)
  • 静物(私家版、1955年)
  • 僧侶(書肆ユリイカ、1958年)
  • 紡錘形(草蝉舎、1962年)
  • 静かな家(思潮社、1968年)
  • 異霊祭(書肆山田、1974年)
  • 神秘的な時代の詩(湯川書房、1974年・書肆山田、1976年)
  • サフラン摘み(青土社、1976年)
  • 夏の宴(青土社、1979年)
  • ポール・クレーの食卓(書肆山田、1980年)
  • 薬玉(書肆山田、1983年)
  • ムーンドロップ(書肆山田、1988年)
  • 赤鴉(弧木洞、2002年)

歌集

  • 魚藍(私家版、1959年・深夜叢書社、1973年)

句集

選詩集

  • 吉岡實詩集(書肆ユリイカ・今日の詩人双書5、1959年)
  • 吉岡実詩集(思潮社、1967年)
  • 吉岡実詩集(思潮社・現代詩文庫14、1968年)
  • 吉岡実詩集〔普及版〕(思潮社、1970年)
  • 新選吉岡実詩集(思潮社・新選現代詩文庫110、1978年)
  • 吉岡実(中央公論社・現代の詩人1、1984年)
  • 続・吉岡実詩集(思潮社・現代詩文庫129、1995年)

散文・日記

  • 「死児」という絵(思潮社、1980年)
  • 土方巽頌 - 「日記」と「引用」に依る(筑摩書房、1987年)
  • 「死児」という絵〔増補版〕(筑摩書房・筑摩叢書328、1988年)
  • うまやはし日記(書肆山田・りぶるどるしおる1、1990年)
  • 吉岡実散文抄(思潮社・詩の森文庫E06、2006年)

全詩集

  • 吉岡実全詩集(筑摩書房、1996年)

参考文献

  • 飯島耕一「吉岡実の死」(「朝日新聞」1990年6月4日)
  • 飯島耕一「青海波――あるいは吉岡実をめぐる走り書」(「現代詩読本」1991年4月、思潮社

脚注

  1. ^ 岩井寛『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)356頁

外部リンク


吉岡實

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/13 16:26 UTC 版)

よしおか みのる
吉岡 實
生誕 1938年[1]
日本 徳島県[1]
死没 (2023-09-26) 2023年9月26日(85歳没)[2]
住居 日本 広島県福山市(2010年時点)[3]
職業
肩書き
  • マルヨシ物産株式会社 元代表取締役会長
  • 全国内航輸送海運組合 元副会長
  • [2]
受賞 黄綬褒章[3]

吉岡 實(よしおか みのる、1938年[1] - 2023年9月26日[2])は、日本実業家馬主

広島県福山市に本社を置く、海運業のマルヨシ物産株式会社の代表取締役会長を務めていた[2]

経歴

1938年徳島県出身[1]。高校の修学旅行で旅客船に乗ったことをきっかけに船に憧れを持ち、卒業後に機帆船の炊事係(カシキ)として船舶に携わるようになる[1]。その後は広海汽船入社を経て1971年に内航貸渡業を開始[1]、翌年8月に内航貸渡のほか食品加工も手掛ける[1]マルヨシ物産を創業する[4]2010年には黄綬褒章を受章した[3]

2023年9月26日腎不全のため死去[2]。85歳没。

自民党衆議院議員である加藤六月佐藤守良と親交があったほか、プロ野球の地方興行にも携わったことがある[1]

馬主活動

吉岡の勝負服を着用した田辺裕信

日本中央競馬会(JRA)および地方競馬全国協会に登録する馬主としても知られた。勝負服の柄は白、赤縦縞、袖赤一本輪、冠名には自身の名前より[5]「ミノル」を用いる。

2023年に死去したのち、所有馬は妻の輝美が引き継ぐこととなっている[2]

来歴

主な所有馬

GI競走優勝馬

重賞競走優勝馬

その他の所有馬

  • フェイクフェイス[注 1][9]
  • スピリッツミノル(2015年すみれステークス、2019年大阪城ステークス)
  • カイザーミノル(2021年朱鷺ステークス、他重賞3着3回)
  • ディアマンミノル(2022年大阪-ハンブルクカップ

受章

脚注

注釈

  1. ^ 地方所属時、先述のように下河辺牧場の所有時に、2005年のすずらん賞を制している。

出典

  1. ^ a b c d e f g h 「久し振りに出た"噂の"爆弾男 総連合のモニター小委(内航船主組合)吉岡 実氏」『内航近海海運』第21巻第304号、内航ジャーナル、1986年2月、43-45頁。 
  2. ^ a b c d e f g 「ミノル」で知られる馬主の吉岡實さん死去 レーヌミノルで2017年の桜花賞V”. 馬トク. 報知新聞社 (2023年10月13日). 2023年10月13日閲覧。
  3. ^ a b c d 平成22年春の褒章受章者名簿(平成22年4月29日付) (PDF) P13
  4. ^ マルヨシ物産株式会社”. BIZMAP. 2023年10月14日閲覧。
  5. ^ a b 【桜花賞】「ミノル」吉岡オーナー夢実る「楽な気持ちで見てた」”. スポニチアネックス. スポーツニッポン (2017年4月10日). 2023年2月23日閲覧。
  6. ^ 吉岡 實”. データベース. ウマニティ. 2023年2月23日閲覧。
  7. ^ 【朝日杯FS】内田博「下手くそッ!」ホーネット2着”. SANSPO.COM. サンケイスポーツ (2005年12月12日). 2005年12月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月23日閲覧。
  8. ^ 【桜花賞】レーヌの吉岡オーナー、ソウルに勝ち「夢みたい」”. サンスポZBAT. サンケイスポーツ (2017年4月10日). 2023年2月23日閲覧。
  9. ^ フェイクフェイス”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2023年2月23日閲覧。

参考文献

  • 『内航近海海運 第21巻304号』(内航ジャーナル)
    • 「久し振りに出た"噂の"爆弾男 総連合のモニター小委(内航船主組合)吉岡 実氏」




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