シュガー・ラモスとは? わかりやすく解説

シュガー・ラモス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/18 10:06 UTC 版)

シュガー・ラモス
基本情報
本名 Ultiminio Ramos Zaqueira
通称 Sugar
階級 フェザー級
身長 164cm
リーチ 173cm
国籍  キューバ
メキシコ
誕生日 (1941-12-02) 1941年12月2日
出身地 マタンサス州マタンサス
死没日 (2017-09-03) 2017年9月3日(75歳没)
死没地 メキシコメキシコシティ
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 66
勝ち 55
KO勝ち 40
敗け 7
引き分け 4
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シュガー・ラモスSugar Ramos、男性、1941年12月2日 - 2017年9月3日[1])は、キューバプロボクサーマタンサス州マタンサス出身。元WBAWBC世界フェザー級統一王者。試合のダメージにより対戦相手が2人死去しており、「殺人パンチャー」と呼ばれた[2]

来歴

1957年10月5日、プロデビュー。

1958年11月8日、ホセ・ブランコと対戦し、8回KO勝ち。ブランコはこの試合が原因で11月9日に死去した。

1960年2月14日、21戦目でキューバフェザー級王座を獲得した。

キューバ革命により、妻子を残したままキューバを離れメキシコへ亡命。1961年4月22日からはメキシコを主戦場にするようになった。

1963年3月21日、43戦目でWBAWBC世界フェザー級統一王者デビー・ムーアに挑戦し、10回TKO勝ちで両団体の世界王座を獲得した。ムーアはこの試合が原因で3月23日に死去した。

1964年3月1日、防衛戦で関光徳と対戦し、6回TKO勝ちで2度目の防衛に成功した[3]

1964年9月26日、4度目の防衛戦でビセンテ・サルディバルと対戦。11回終了時に棄権し、王座から陥落した。

1966年10月22日、階級を上げWBA・WBC世界ライト級王者カルロス・オルチスに挑戦し、5回TKO負け。1967年7月1日、オルチスと再戦するも、4回TKO負け。2階級制覇に失敗した。

1972年4月25日の試合を最後に引退した。

引退後は長くガンの闘病生活を送っていたが、それが悪化して背骨を骨折した2日後の2017年9月2日に死去した[1]

獲得タイトル

脚注

  1. ^ a b “関光徳、サルディバルと戦ったシュガー・ラモス死去”. Boxing News. (2017年9月4日). https://boxingnews.jp/news/51119/ 2017年9月4日閲覧。 
  2. ^ 末永慶寛. “No. 287 メキシコの赤い鷹 ビセンテ・サルディバル”. リング・ジャパン. 2010年5月30日閲覧。
  3. ^ ボクシング・マガジン編集部 『日本プロボクシング史 世界タイトルマッチで見る50年』 ベースボール・マガジン社、2002年、188頁

関連項目

外部リンク

前王者
デビー・ムーア
WBA世界フェザー級王者

1963年3月21日 - 1964年9月26日

次王者
ビセンテ・サルディバル
前王者
デビー・ムーア
WBC世界フェザー級王者

1963年3月21日 - 1964年9月26日

次王者
ビセンテ・サルディバル




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