岡本神草とは? わかりやすく解説

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岡本神草

読み方おかもと しんそう

日本画家兵庫県生。名は敏郎。京美工・京都絵専卒。第一回国展出品作口紅」で画名高めた。「九名会展」に福田平八郎堂本印象宇田荻邨らと参画する昭和8年(1933)歿、40才。

岡本神草

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/11 15:38 UTC 版)

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岡本 神草(おかもと しんそう、1894年11月10日 - 1933年2月13日)は、神戸市出身の日本画家。本名は敏郎。

若くして没したため、充分な活躍はできなかった。作品はいずれも濃艶な雰囲気の女性像で、成熟した女性の美しさや舞妓の持つ人工的美しさをモティーフに独自の作風をみせている。菊池契月に師事する。10代半ばで卓越した技術で花鳥画を制作した後、竹久夢二に魅了されて雑誌などに掲載された絵を模写したり、夢二風の少女の絵などを描いた。

略歴

「口紅」1918年
  • 1918年(大正7年) - 京都市立絵画専門学校(現:京都市立芸術大学)卒業。第1回国画創作協会展に「口紅」が入選。甲斐庄楠音の「横櫛」とともに入賞候補に挙げられる。このとき、「横櫛」を推した村上華岳と「口紅」を推した土田麦僊とが互いに譲らず、結局、竹内栖鳳の仲裁で金田和郎の「水蜜桃」が受賞する。
  • 1920年(大正9年)‐ 国展に「拳を打てる三人の舞妓の習作」を出品、評価を高める。
「挙を打てる三人の舞妓の習作」1920年

 

  • 1921年(大正10年) - 第3回帝展に「拳を打てる三人の舞妓」を出品
「拳を打てる三人の舞妓」
  • 1922年(大正11年) - 九名会(福村祥雲堂主催)参加
  • 1928年(昭和3年) - 第9回帝展に「美女遊戯」が入選
  • 1932年(昭和7年) - 第13回帝展に「婦女遊戯」が入選
  • 1933年(昭和8年) - 脳溢血により死去。

作品

  • 「赤いリボン」 1915年(大正4年)ころ 京都国立近代美術館所蔵
  • 「口紅」 1918年(大正7年) 京都市立芸術大学芸術資料館所蔵
  • 「婦女遊戯」 1932年(昭和7年) ロイヤルホテル所蔵

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