岡本禅哲とは? わかりやすく解説

岡本禅哲(おかもと ぜんてつ) ????~1583

○竹閑 梅江
◇父:岡本曽端 室:小山秀綱女 子岡本顕逸
 常陸佐竹氏臣。僧でありながら側近として仕え、主に外交面を担当

岡本禅哲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/06 05:21 UTC 版)

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岡本 禅哲(おかもと ぜんてつ、生年不詳[1] - 天正11年11月11日(1583年)12月24日[1])は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将常陸国戦国大名佐竹氏の家臣[1]。岡本曾端(曾瑞)の子。妻に小山秀綱の娘[2]。子に岡本顕逸(良逸)と娘。別に梅江斎[3]・竹閑斎[3]・慕叟庵[3]と号す。代々、又太郎と称す。

禅哲の岡本氏は元々岩城氏の家臣であったが、禅哲の祖父である岡本妙誉の代から佐竹氏に仕えるようになった。

僧籍にありながら佐竹義篤佐竹義昭佐竹義重の三代に仕えた。娘を佐竹氏一族に嫁がせた[4][注 1]事もあって、一門衆に準じて扱われた。父の曾端と同様に佐竹氏の外交面で活躍し、あるときは主君に代わって公的文書を発給したとまでいわれている。

和歌の達人としても知られるほど教養にも長けており、室町幕府十五代将軍足利義昭細川幽斎とも交流があった[5]

系図

  • 藤原秀郷の子孫[6]
  • 秀郷~小山政光朝政-小山四郎左衛門朝長[6]尊卑分脈本では長朝)-出羽守長村[6]-時長[6]-宗長[6]貞朝[6]-親元[6](岡本又次郎[6]または岡本又太郎、靫負尉[6](ゆげいのじょう・ゆきえのじょう)- 門部(衛門の別称)、岡本氏祖)(秀朝の弟)-孫太郎祐親[6]-又次郎隆親[6]-掃部助重弘(三郎四郎隆弘)[6]-淡路守隆貞(助太郎・介太郎)[6]-大炊介隆光[6]-道活法師(竹清庵と号す)[6]-妙覚法師[6](妙誉、竹隠軒・芳叟庵と号す)-曾端法師[6](曾瑞、松庵・掬月斎(掬月軒)・月叟庵と号す)-又太郎禅哲[6](梅江斎(梅香斎)[注 2][7]・慕叟庵(幕叟庵は誤り[8][注 3][9][注 4])・竹閑斎と号す)-良哲[6](顕逸、良逸とも、号は好雪斎・禅有庵・菊庵・好雲斎か)-宣綱[6](如哲・通称蔵人、のちに如庵と号す、佐竹義宣に従い、秋田藩へ赴く)-蔵人元弘[6]-親元-元朝-元貞
  • 宣綱の時に国替があり、出羽へ来たとされる。

脚注

注釈

  1. ^ 禅哲は三人の娘をそれぞれ今宮光義(佐竹義舜の孫)・小瀬義春・小田野義定に嫁がせている。いずれも佐竹の一族である。
  2. ^ 禅哲は、太田(常陸太田)在住のころから梅花を愛し、宅地に梅樹数十株を植え梅香斎と号していた。佐竹氏の水戸入城と共にこの町に移り、梅樹を植えて楽しんだことから、梅香の町名が起こったといわれている。
  3. ^ 岡本氏が常陸太田の松山に住んでいたというのは、「佐竹義篤家譜」(秋田藩家蔵文書)天文四年(1535年)条、秋田藩家蔵文書本岡本系図の妙誉の項などに見えるところであるが、右の天文12年(1543年)の真寂(遊行上人27世(1536-1548)他阿弥陀真寂(生没年1500-1548))の文書を傍証としてつけ加えることができる。また岡本氏が同じく妙誉以来、少林院(正林院)をその邸宅内に建立して院主となっていたことは、正宗寺(しょうじゅうじ、臨済宗円覚寺派の寺)旧蔵「当寺并末寺由緒之記」の伝えるところでもあった(正宗寺は常陸太田市に現存)。岡本氏が少林院主であったことについては、やはり真寂の次の文書が傍証となる。この文書は曾端の子の禅哲(梅江斎)に対し、「慕叟」の号を与えたときのものである。
    慕叟 梅江之雅号如(レ)斯歟、
    潙山慕喆真如禅師、
    哲喆同也、以(二)来便(一)可(レ) 
    有(二)返答(一)、可(レ)得(二)其意(一)也 
    少林下 
    「慕叟―梅江(禅哲)の雅号はこれでいかがでしょうか。昔、唐に潙山慕喆というすぐれた禅僧がいました。哲と喆は同じ意味ですので、この禅師の名から慕叟の号を考えだしました。この雅号が気に入るかどうか、手紙で返答をください。どうか気に入ってもらいたいものです」 宛名に「少林」とあるから、岡本禅哲は間違いなく少林院主であった。したがって、岡本氏が代々少林院(正林院)主であったこともまず確実である。
  4. ^ 岡本氏歴代が馬場村少林院(正林院)住持であった少林院は大字太田にあった。そこで大字馬場(常陸太田市馬場)を「太田の松山」があった地域と推定しておきたい。

出典

  1. ^ a b c 戦国人名辞典, p. 259.
  2. ^ 一遍と中世の時衆, p. 184, 197.
  3. ^ a b c 一遍と中世の時衆, p. 196.
  4. ^ 一遍と中世の時衆, p. 197, 198.
  5. ^ 一遍と中世の時衆, p. 197.
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 姓氏家系 第1巻, p. 443.
  7. ^ 改訂 水戸の町名 地理と歴史 梅香一丁目”. 水戸市立図書館/デジタルアーカイブ. 2020年11月23日閲覧。
  8. ^ 一遍と中世の時衆, p. 195, 196.
  9. ^ 一遍と中世の時衆, p. 201, 202.

参考文献




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