はしぐち‐ごよう〔‐ゴエフ〕【橋口五葉】
橋口五葉
橋口五葉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/02 15:45 UTC 版)
橋口 五葉(はしぐち ごよう、1881年(明治14年)[注 1]12月21日 - 1921年(大正10年)2月24日[1])は、明治末から大正期にかけて文学書の装幀作家、浮世絵研究者として活躍したが、最晩年、新版画作家として新境地を開こうとした矢先に急死した。アール・ヌーヴォー調の装幀本、「大正の歌麿」と形容された美人画を残している。
注釈
- ^ 五葉の生年については、明治13年説と明治14年説がある。明治13年説は、五葉没後の一部の年譜や展覧会パンフレットに記載され、それが踏襲されたためである。しかし、五葉存命中の美術家録では全て明治14年であり、没後発行の人名録でも同様なことから、明治14年(1881年)生まれのほうが正しいと考えられる(『生誕130年 橋口五葉展』図録、2011年、184頁)。
- ^ 1897年に鹿児島県尋常中学校第2学年~第4学年の各学年40名が鹿児島県尋常中学造士館へ転籍となっている。
出典
- ^ a b 三輪英夫 (1994), “橋口五葉”, 朝日日本歴史人物事典, 朝日新聞社
- ^ a b c 『鹿児島大百科事典』(1981年 南日本新聞社)「橋口五葉」
- ^ a b c d 『かごしま文化の表情 第6集 絵画編』(鹿児島県県民福祉部県民生活課、1996年)88-93頁
- ^ a b c 小林忠, “橋口五葉 はしぐちごよう”, 日本大百科全書(ニッポニカ), 小学館
- ^ 猪熊建夫『伝統高校100西日本篇』(武久出版、2019年11月)356頁
- ^ 泉山真奈美 (2011年8月20日). “哀しくも美しき大正の女 -橋口五葉が描く深遠なる美人画-”. 花の絵. HANANOE.JP. 2017年5月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年5月31日閲覧。
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