酒井庄吉とは? わかりやすく解説

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酒井庄吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/29 14:51 UTC 版)

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酒井 庄吉(さかい しょうきち、明治11年(1878年)‐昭和17年(1942年))は明治時代から昭和時代にかけての浮世絵商である。

来歴

神田区淡路町2丁目4番地で浮世絵商を営んでいた酒井藤兵衛の子で、酒井好古堂の2代目当主であった。藤兵衛の没年にあたる明治44年の古代錦絵臨写目録が残されており、当時の複製の状況が判明する。大正期には浮世絵の複製が盛んとなっており、大正4年(1915年)6月から専門誌『浮世絵』全55冊を刊行した他、同年『浮世絵版画逸品集』、大正5年(1916年)に『歌麿名画集』を出版している。大正6年(1917年)6月27日及び28日には常盤木倶楽部で浮世絵即売会を主催、同年9月の広重60回忌追善展覧会の発起人を務めている。この時の発起人には他に石井研堂橋口五葉ハッパー、落合直成、幹事の渡辺庄三郎内田実久保田米斎、前田武四郎、執行弘道3代目広瀬辰五郎、鈴木虎之助がいた。また大正8年(1919年)、歌川広重錦絵「東海道余興と成田道中」の復刻を手がけている。昭和4年(1929年)、川瀬巴水新版画「菖蒲」を酒井川口合版として出版した他、鳥居言人小原豊邨小森素石、犬塚苔翠の新版画を出版している。墓所は台東区谷中の信行寺。

参考文献

  • 吉田漱 『浮世絵の基礎知識』 雄山閣、1987年 ※150頁
  • 反町茂雄編 『紙魚の昔がたり 明治大正篇』 八木書店、1990年
  • 永田生慈 『資料による近代浮世絵事情』 三彩社、1992年
  • 町田市立国際版画美術館編 『浮世絵モダーン 深水・五葉・巴水…伝統木版画の隆盛』 町田市立国際版画美術館、2005年



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