浅虫温泉とは? わかりやすく解説

あさむし‐おんせん〔‐ヲンセン〕【浅虫温泉】

読み方:あさむしおんせん

青森市北東部青森湾面する温泉泉質塩化物泉硫酸塩泉


浅虫温泉

駅名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

浅虫温泉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/08 09:48 UTC 版)

浅虫温泉(あさむしおんせん)は、青森県青森市浅虫(旧国陸奥国)にある温泉。海水浴やスキー、水族館や遊園地といったさまざまなレジャー施設も兼ね備えた観光地として賑わい、「東北の熱海[5]」、「青森の奥座敷[6]」などと呼ばれた。


注釈

  1. ^ 浅虫温泉観光協会と浅虫温泉旅館組合が運営する公式サイトでは法然による発見説を紹介している[12]
  2. ^ 明治維新による廃藩置県では、旧弘前藩領は弘前県となった。県内は弘前を中心に郡が編成され、浅虫温泉のあたりは弘前県の東のはずれ、というべき位置にあって交通不便な場所だった。
  3. ^ 寛政年間(1789年 - 1801年)に善知島崎を通った渋江長伯は「平蜘蛛が壁にとりつくようにして横歩きで6(約10.9メートル)(中略)岩角へ渡るため丸太を2本渡してある」と伝え[17]松浦武四郎(1818年 - 1888年)は『東奥沿海日誌』(嘉永3年・1850年)のなかで「大岩石峨々たる難所の道也、右は峨々たる岩壁有、左は河岸汐潮満る時は通り難し、故に上に材木渡して是を号してカケハシと云、此上を渡る、然れ共風波荒きときは通りがたし」と記している[10][18]大河兼任の乱で古戦場となった「多宇末井の梯(タウマイのかけはし)」とは、この善知鳥前の桟道であるといわれる[19]
  4. ^ 1891年(明治24年)の国鉄東北本線敷設にあたっては国道よりも海側に線路が敷設されたが、明治9年に開削した善知鳥前の国道は線路よりもさらに海側にあった。このため、鉄道トンネルの前後2か所の踏切で線路をまたいでいたが、しばしば事故が起こっていた[24]。これを解消するため昭和7年に善知鳥前(ウトーマイ)トンネル150mが新たに開削された[25]。この開通に伴い、国道トンネルが線路より山側に付け替えられ、踏切は解消された[24]。 善知鳥前トンネルは東北本線の鉄道トンネルと、道路用トンネルが並行して走る双設トンネルであった[25]。1967年(昭和42年)に東北本線の電化・複線化が行われ、鉄道は新設のトンネルを通る内陸よりの新ルートとなった。旧鉄道トンネルは改修されて国道用に転用となった[26]。しかし、戦後のモータリゼーションが進んだ時代となると、善知鳥前トンネルも渋滞の発生が激しく「国道4号最大の障害」と言われるまでになった[25]。これを解消するため昭和53年度にトンネルの改修が始まった。下り線は従来の善知鳥前トンネルを拡幅、上り線は旧国鉄のトンネルを拡幅する方式で、全長112m、幅9.8m。昭和55年4月供用開始となった[25]
  5. ^ 東北大学臨海実験所附属の浅虫水族館は、1984年(昭和59年)に閉館となるまで、当時営業するものとしては日本国内で最古の水族館だった[29]。同水族館に近接して青森県営の水族館が1983年に開設されたことで、東北大学附属としての浅虫水族館は閉鎖となった。
  6. ^ 現在は青森市安方二丁目
  7. ^ 当時の熱海温泉は、「温和の気候と、稀に見る風景と、それから温泉を兼備した保養地[39]」と評され、どちらかというと風光明媚な景勝地として知られていた。
  8. ^ 湧出量・温度は推定値[40]。源泉を自噴泉と揚湯泉に区別した湧出量などの定量的調査は、1957年(昭和32年)に公表された、1954年(昭和29年)12月のデータが最初だった[42]
  9. ^ 単純に海水が流入したのではなく、海岸に近い源泉へ海水が地層を浸透していく過程で、海水中のナトリウム、カリウム、マグネシウムイオンは減衰し、かわりに地層に含まれる炭酸カルシウムからカルシウム成分が流出し、これらが源泉の成分に影響を与えた[44]
  10. ^ 2009年(平成22年)の青森県の調査報告書によれば、浅虫温泉旅館組合に加入している宿泊施設数は14施設[49]。2017年5月の「河北新報」によれば、宿泊施設は24軒(1991年)から10軒(2017年)、飲食店は約50軒から約15軒へ減少[4]

出典

  1. ^ a b c d e f 『全国温泉大事典』,p100「浅虫温泉」
  2. ^ a b c d e 『角川日本地名大辞典2 青森県』p84「浅虫温泉」
  3. ^ a b c d e f g h i j k l 『青森県百科事典』p46「浅虫温泉」
  4. ^ a b c d 河北新報,東北ニュース,2017年5月22日付,<浅虫温泉>経営者がチーム にぎわい創出へ 2018年5月12日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h i j 中園美穂(青森県史編さん調査研究員) (2015年3月23日). “遊興地となる浅虫温泉=22”. 陸奥新報 (陸奥新報社). http://www.mutusinpou.co.jp/津軽の街と風景/2015/03/35640.html 2015年11月28日閲覧。 
  6. ^ 青森市の公的支援と施設ガイド” (PDF). 日本政府観光局web. 独立行政法人 国際観光振興機構. 2015年11月28日閲覧。 “青森の奥座敷といわれる浅虫は、開湯1200年、棟方志功太宰治など数多くの文化人も訪れた歴史のある温泉街です”[1]
  7. ^ a b c d e f g 『日本歴史地名大系2 青森県の地名』p334-335「浅虫温泉」
  8. ^ 笹澤魯洋篇,『下北半嶋史』復刻版,p27,名著出版,昭和53年1月
  9. ^ 福田吉次郎、地名から文化を考える会編著,『アイヌ語で解く地名文化事典』,p.111,1991年7月
  10. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『角川日本地名大辞典2 青森県』p83-84「浅虫」
  11. ^ a b 『青森県百科事典』p395「鹿の湯」
  12. ^ 一般社団法人 浅虫温泉観光協会・浅虫温泉旅館組合,浅虫温泉紹介 2018年5月11日閲覧。
  13. ^ a b c d 『日本歴史地名大系2 青森県の地名』p334「浅虫村」
  14. ^ a b c 青森市HP,青森市教育委員会事務局市民図書館 歴史資料室,「あおもり歴史トリビア」第46号,2013年2月22日付,浅虫温泉と浅虫水族館 2018年5月19日閲覧。
  15. ^ a b c 『青森県の歴史散歩』p143「麻蒸湯」
  16. ^ a b c 『青森県百科事典』p115「善知鳥崎」
  17. ^ a b c 陸奥新報,2012年12月24日付,蝦夷地への出入り口=104, 2018年5月19日閲覧。
  18. ^ 時事新書『東奥沿海日誌』,p.195,松浦武四郎著,吉田武三編,時事通信社刊,昭和44年4月第二刷
  19. ^ 『青森県百科事典』p.115「善知鳥崎」
  20. ^ a b 『青森県史(九)』p.165-166,歴史図書社発行,青森県編、明治七年九月廿日の項
  21. ^ a b c d e f g h 陸奥新報,2008年2月27日付,二十三番 安養寺夢宅寺(浅虫), 2018年5月17日閲覧。
  22. ^ 『青森県の近代化遺産:近代化遺産総合調査報告書』p.82,青森県教育庁文化課編,青森県教育委員会発行,2000年
  23. ^ 『青森市・野内村合併二十周年記念誌 のない』p.18,青森市合併20周年記念事業実行委員会発行,昭和58年1月
  24. ^ a b 「新青森市史」資料編7,p.596-597
  25. ^ a b c d 建設省東北地方建設局青森工事事務所『七十年史』,平成元年,p.699-710
  26. ^ 『角川日本地名大辞典2 青森県』p163「善知鳥崎」
  27. ^ 『角川日本地名大辞典2 青森県』p735-737「野内」
  28. ^ a b c d e f g h 『全國溫泉案内』p192-194「淺蟲温泉」
  29. ^ a b 『青森県百科事典』p46「浅虫水族館」
  30. ^ a b 『温泉案内』p315「浅虫温泉」
  31. ^ 国立病院機構青森病院,青森病院のあゆみ, 2018年5月17日閲覧。
  32. ^ 陸奥新報,2015年3月9日付,駅や築港は国策に翻弄=21(中園裕(青森県史編さんグループ主幹)), 2018年5月17日閲覧。
  33. ^ 椿館,椿館と太宰治, 2018年5月17日閲覧。
  34. ^ 『青森県百科事典』p897「棟方志功」
  35. ^ 椿館,棟方志功画伯との出会い, 2020年8月31日閲覧。
  36. ^ 青森県立美術館,2016年4月28日,特別展示 棟方志功の三湯仏 ぜひご観覧ください!, 2018年5月17日閲覧。
  37. ^ a b c 陸奥新報,2016年6月6日付,駅郷土菓子に歴史、風土=49(中園美穂(青森県史編さん調査研究員)), 2018年5月19日閲覧。
  38. ^ 陸奥新報,2008年10月13日付,景勝地の選定で活気=13, 2018年5月18日閲覧。
  39. ^ 『全國溫泉案内』p106「熱海温泉」
  40. ^ a b c d e f g NPO法人健康と温泉フォーラム,甘露寺泰雄(財団法人中央温泉研究所・所長),適正利用としての浴槽衛生管理と資源の集中管理 2018年5月12日閲覧。
  41. ^ a b c 高柳友彦「近現代日本における温泉資源利用の歴史的展開 -多目的利用の観点から-」『一橋経済学』第7巻第2号、一橋大学大学院経済学研究科、2014年1月、21-43頁、doi:10.15057/26129NAID 120005373502 
  42. ^ 一般社団法人日本温泉科学会,「温泉科学」29巻3号(1978年),甘露寺泰雄(財団法人中央温泉研究所),「温泉統計と枯渇現象 (PDF) 」 2018年5月12日閲覧。
  43. ^ a b c 『温泉と日本人』八岩まどか,青弓社,1993,Google Books版,p180-182
  44. ^ 甘露寺泰雄、「海水混入による温泉成分の変化に関する研究(第2報)浅虫温泉の海水浸入過程におけるナトリウム, カリウム, カルシウムおよびマグネシウムイオンの挙動について」『衛生化学』 1972年 18巻 2号 p.90-95, doi:10.1248/jhs1956.18.90、公益社団法人日本薬学会、2018年5月18日閲覧。
  45. ^ 青森市農林水産部水産振興センター,2018年2月5日付,青森開港と水産関係略年表 2018年5月20日閲覧。
  46. ^ 公益社団法人 青森観光コンベンション協会,浅虫海づり公園 2018年5月20日閲覧。
  47. ^ 青森市農林水産部水産振興センター,2018年2月5日付,浅虫海づり公園利用者数 2018年5月20日閲覧。
  48. ^ a b 青森市,市政情報,青森市のわかりやすい予算書(平成30年度) (PDF) ,p16, 2018年5月11日閲覧。
  49. ^ a b 青森県,浅虫地区の温泉熱利用可能性調査 報告書(平成22年2月) (PDF) , 2009, 2018年5月12日閲覧。
  50. ^ 日本経済新聞,2017年12月6日付,学校が消える 少子高齢化の現実 東北の未来を考える 第1部「人口減の衝撃」(3) , 2018年5月11日閲覧
  51. ^ トラベルビジョン,2017年1月22日付,ホテルの元経営会社が破産開始、負債13億円 , 2018年5月11日閲覧
  52. ^ 日本経済新聞,2017年6月3日付,青森市の浅虫温泉、みちのく銀が再生を主導 , 2018年5月12日閲覧
  53. ^ 東奥日報社,Web東奥,2017年5月25日付,浅虫温泉協組、温泉熱発電を断念/青森 2018年5月12日閲覧。
  54. ^ a b c 『日本の島ガイド SHIMADAS』p45「湯ノ島」
  55. ^ 農商務省嘱託・和田干藏(青森県師範学校),和田干蔵「浅虫温泉と附近の名勝」『教育畫報』第19巻第3号、同文館、1925年3月、121-124頁、NAID 120001788404 
  56. ^ 『青森県百科事典』p459「白根崎」
  57. ^ 『青森県百科事典』p732「裸島」
  58. ^ 『角川日本地名大辞典2 青森県』p747「裸島」
  59. ^ 東北大学付属浅虫海洋生物学教育研究センター,浅虫海洋生物学教育研究センターについて 2018年5月12日閲覧。


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