浅虫線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2010/11/12 09:11 UTC 版)
浅虫線(あさむしせん)
- 青森市営バスが運行する浅虫線は、青森市営バス東部営業所を参照
- JRバス東北がかつて運行していた浅虫線 (ジェイアールバス東北)
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浅虫線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/01 03:21 UTC 版)
路線概要 2007年4月1日まで青森県青森市青森駅と同市浅虫温泉駅を結んでいた、十和田北線の支線扱いの路線。一時期は浅虫水族館発着や浅虫温泉駅発青森空港行、県立中央病院前発着便も運行した。 十和田北線の支線として、東北本線が停車しない集落からの鉄道連絡を行うために路線が開設された。正式には堤橋~浅虫温泉駅間が浅虫線で、青森駅~堤橋間は十和田北線となっている。その後、青森市営バスが並行する形で路線を開設し、競合となった。青森市営バスが酸ヶ湯までの路線開設を申請した際に、開設条件として青森市営バスの一部時間帯の便を国鉄バスに譲ることで合意した。 青森市営バスは公共交通機関という役目から福祉乗車証を交付したため、次第に高齢者の利用者が減っていった。さらにはバスカードが導入され、更なる乗客離れが進んだ。そのため青森支店管内では通学用金券式回数券を廃止した上で、普通金券式回数券を本来の11枚綴りから13枚綴りにしたほか、浅虫水族館への乗り入れや青森空港線直通便なども運行したが、利用者は伸びなかった。 2000年頃までは1時間に1本程度の本数が確保されていたが、それ以降は青森市営バスと時間が重複する便の廃止や、一部便の県立中央病院前~浅虫温泉駅間を廃止するなどの合理化を行ったものの、それでも乗客は減り続けた。青森市営バス東部営業所が東造道から野内に移転し、それまでJRバスを利用していた八重田・原別地区の乗客が青森市営バスを利用できるようになった影響が考えられる。2006年4月ダイヤ改正では7往復(休日4往復)にまで減便された。その後も乗車率の減少に歯止めがかからなかったことから、2007年3月31日をもってJRバスによる運行が終了し、翌4月1日に廃止された。これにより同区間からJRバスは撤退し、市営バスに一本化された(現在運行されている青森市営バスの浅虫線は青森市営バス東部営業所を参照)。 運行経路 青森駅(青森駅前1番のりば) - 市役所前 - 堤橋 - 県立中央病院前 - 野内駅 - 浅虫温泉駅 歴史 1930年(昭和5年) - 天内勝四郎により運行が開始される。後に、木村貴三郎に譲渡。 1936年(昭和11年)11月20日 - 木村貴三郎から権利を買収し、省営自動車浅虫線堤橋・浅虫間開業。 【新設停車場】商業学校前、種鶏場前、原別、野内橋、北野内、野内駅前、津軽浦島、観音寺通、久栗坂、津軽高野山 1944年(昭和19年)4月1日 - 戦時特令により運行休止。 1945年(昭和20年)11月20日 - 運行再開。 1956年(昭和31年)11月10日 - 浅虫水族館まで延長される(ただし、この当時の水族館は、東北大学臨海実験所附属水族館)。 1961年(昭和36年)7月10日 - ワンマンカー運行開始。 1972年(昭和47年)10月24日 - 浅虫駅~浅虫水族館間廃止される。 1982年(昭和57年)3月25日 - 県病前経由となる。 1983年(昭和58年)7月24日 - 再度、浅虫水族館まで延長される。 1994年(平成6年)12月1日 - 再度、浅虫温泉駅~浅虫水族館間を廃止する。 2001年(平成13年)4月1日 - 県立中央病院発着便が設定される。 2004年(平成16年)4月1日 - 県立中央病院発着便が廃止、大幅な減便が行われる。 2007年(平成19年)3月31日 - 同日をもって運行終了。 2007年(平成19年)4月1日 - JRバス浅虫線、廃止。
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