開湯伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/15 10:14 UTC 版)
開湯伝説(かいとうでんせつ)とは、温泉が発見された由来に関する言い伝え・伝説。あくまで言い伝えであり、史実とは異なる(後述)。
- 1 開湯伝説とは
- 2 開湯伝説の概要
- 3 鳥獣による発見伝説
- 4 参考文献
開湯伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/05 22:39 UTC 版)
開湯は西暦821年、弘法大師が発見したとの伝説が残っている。但し、ツルが傷ついた脛を浸していた所を樵が発見したといった伝承も有る。さらに、役行者による発見説など異説も見られる。 なお、温海川の川底から湧出した温泉が、河口に流れ日本海を温かくしていたため、温泉名は「温海」と命名された。鎌倉時代後期までには、湯治場が形成されていたとも言われている。
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開湯伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 15:41 UTC 版)
弘法大師が発見したとの伝承のある温泉は、日本各地に存在する。具体的には以下のとおり。 あつみ温泉 大塩温泉 芦ノ牧温泉 出湯温泉 瀬戸口温泉 清津峡温泉 関温泉 燕温泉 川場温泉 法師温泉 修善寺温泉 伊豆山温泉 湯村温泉 鹿塩温泉 海の口温泉 赤引温泉 龍神温泉 関金温泉 湯免温泉 千羽温泉 清水温泉 東道後温泉 杖立温泉 熊の川温泉 波佐見温泉 これ以外にも後年、開湯伝説を作った際に名前が使われただけの温泉もある(高野聖のうちには、その離農的な性格から、いわゆる山師的なものもおり、それらが温泉を探り当てた際に宗祖たる空海の名を借用したともいわれている)。
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開湯伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 01:30 UTC 版)
開湯伝説は2つあるが、いずれも桓武天皇治世後半の延暦年間(782-806年、奈良時代末期~平安時代初期)に属する。 坂上田村麻呂説 桓武天皇の治世 (737-806) に征夷大将軍・坂上田村麻呂が蝦夷征討を行った時、奥州古道(国府街道)を国府─渋川宿─中之条─四万─木根宿─越後国浅貝宿という経路で移動しているが、四万の日向見(ひなたみ)で入浴したと伝えられており、これをもって四万温泉の開湯と考えられている。時期を突き詰めるならば、平安京を出征した延暦20年2月14日(801年3月31日)から征討が終了したと考えられる同年9月27日(11月6日)までの最初の遠征と、延暦21年1月7日(802年2月12日)からアテルイが降伏した同年4月15日(5月19日)までの2度目の遠征の、いずれかの間の出来事である。 碓井貞光説 永延3年(989年、平安時代前期後半)、頼光四天王(らいこう してんのう。源頼光の四天王)の一人に数えられる碓井貞光(うすい の さだみつ)は、越後国(現・新潟県)から木の根峠/木根峠(きのねとうげ)/木根宿峠(きのねしゅくとうげ)を経て生国である上野国(現・群馬県)に入り、当地で夜を明かすことになった。夜もすがら、読経をしていて夢うつつになった夜半の頃、どこからともなく一人の童子が立ち現れて曰く、「汝が読経の誠心に感じて四万(よんまん)の病悩を治する霊泉を授く。我はこの山の神霊なり。」と。然して貞光が目醒めると、神託のとおり湧き出る温泉を見付けたという。係る吉事(よごと)に感じ入った貞光は、この地に一宇の堂を建立し、自らの守本尊(まもりほんぞん)の薬師如来を安置して「日向守貞光寺薬師瑠璃如来(ひゅうがのかみ さだみつじ やくしるりにょらい)」と号し、温泉は「御夢想の湯(ごむそうのゆ)」と呼び、地域は神託にちなんで「四万郷(しまのごう)」と名付けたとのことである。また、貞光が日向守であったことから、四万温泉の開湯地とその温泉名を特に「日向見(ひなたみ)」および「日向見温泉」と呼ばれるようにもなった。
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