鹿塩温泉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/06/26 05:10 UTC 版)
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中部山岳における位置
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| 温泉情報 | |
| 所在地 | 長野県下伊那郡大鹿村 |
| 座標 | 北緯35度35分13秒 東経138度03分22秒 / 北緯35.58703度 東経138.05617度座標: 北緯35度35分13秒 東経138度03分22秒 / 北緯35.58703度 東経138.05617度 |
| 交通 | 鉄道 : 飯田線伊那大島駅より伊那バス大鹿線で約50分で最寄バス停鹿塩へ。バス停より徒歩約15分 |
| 泉質 | 塩化物泉 |
| 泉温(摂氏) | 14 °C |
| 宿泊施設数 | 3 |
泉質
海から遠く離れた標高約750mにありながら、塩分濃度は海水と同じ4パーセントであり、舐めると海水のようにしょっぱい。含まれるミネラル分が異なることから、断層(中央構造線)に閉じ込められた化石海水ではないとされており、なぜ塩水が湧出するのかは未だにはっきりとは解明されていない。
入浴すると皮膚表面に塩分の膜ができ、汗の蒸発を抑えるため体温が逃げにくくなり、湯冷めをしにくいという特徴がある。
温泉街
歴史
建御名方神が鹿狩りをしている時に鹿が塩水を舐めているのを見て発見したとされ、弘法大師(空海)がこの地を訪れた時に村人が塩に困窮していることを知り持っていた杖で地面を突いたところ、そこから塩水が湧出したといった開湯伝説がある。相当古い時代からこの塩水が利用されてきたことがわかる。
平安時代の頃には「鹿塩」という荘園名も存在しており、この時分より製塩がされていたことがうかがえる。
南北朝時代には南朝方の宗良親王(後醍醐天皇の皇子)がこの地に入り南朝方の拠点としたが、塩があったからだといわれている。
1875年(明治8年)、旧徳島藩士・黒部銑次郎が岩塩を求めて塩泉の採掘を始め、大掛かりな製塩場を設置して食塩製造を行った。岩塩は結局発見することができず、黒部は多大な借金を背負うこととなった。
1892年(明治25年)になり、塩水を湯治に利用しようと鉱泉浴場が開業し、鹿塩温泉となる。
明治後期から平成期にかけて、日本では塩の製造が国の管理下に置かれ、自由な製塩が難しい時代となる。ところが、1997年(平成9年)に塩専売法廃止および塩事業法の施行による規制緩和が実施されると、製塩の認可を受けた山塩館の4代目当主は、かつて製塩をしていた場所で昔ながらの薪炊きにこだわった塩づくりを再開。この塩は、にがり成分をほとんど含まないため、調理に使用すると素材の味や食感を損ねることがない。塩の里特産品直売所でも購入することができる。この「山塩」は、菓子など土産物づくりやジビエ料理にも使われている[1]。
アクセス
脚注
- ↑ 【仰天ゴハン】山塩ジビエ(長野県大鹿村)秘湯きらめく復活の結晶『読売新聞』朝刊2018年11月4日(別刷り日曜版よみほっと1面)。
外部リンク
- 鹿塩温泉のページへのリンク