室町時代以前
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神代(古墳時代以前) - ヤマトタケル(日本武尊)の草津開湯伝説(俗説)あり。 天平時代(奈良時代中期) - 行基の草津開湯伝説(俗説)あり。 建久4年頃(1193年頃、鎌倉時代前期) - 源頼朝の草津開湯伝説(俗説)あり。 文明4年(1472年、戦国時代) - 上州草津の温泉についての初出(現存記録上最古の登場)史料が示す年/信州西厳寺住職の招きで浄土真宗本願寺派第8世宗主・蓮如が越前吉崎(現・福井県あわら市吉崎)の吉崎御坊より来草して布教したという。真偽の怪しい後世の記録ではあるが、史料として係る記述は既知で最古の例である。 文明18年(1486年) - 尭恵(藤之坊尭恵。僧で歌人)の来草・入湯。 延徳3年(1491年) - 万里集九(禅僧で歌人)の来草・入湯。 文亀2年(1502年) 4月(西暦換算:5月頃) - 美濃国鵜沼在住の万里集九が、この時、漢詩文集の東国旅行記『梅花無尽蔵』全7巻をまとめ終え、永正3年(1506年)に刊行する。その中に、上州草津の湯を含む日本の最たる名泉について「本邦六十余州 毎州有霊湯 其最者 下野之草津 津陽之有馬 飛州之湯島三処也(口語訳例:我らが60余りの国にはそれぞれに霊湯〈※神憑った効能をもつ温泉〉を有するが、その最たるものは、下野〈※上野国の誤りと思われる〉の草津、摂津の有馬、飛騨の湯島〈※下呂温泉〉の3箇所である)」とある。有名な林羅山の日本三名泉(江戸時代前期)は、万里集九の挙げた三名泉の追認・焼き直しと考えられる。 月日不明 - 歌人・宗祇(連歌師)の来草・入湯。
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室町時代以前
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日本では、古代には諸手船(もろたぶね)と呼ばれる小型の手漕ぎ船が軍事用に使われていたことが記録にあり、のちの安宅船などの軍船の起源と考えられる。中世の前半には海上で活動する軍事勢力が活躍するようになるが、水軍専用に建造された軍船はなく、漁船や商船を陸戦で用いられる楯板で臨時に武装したものを使用していた。 本格的な軍船の登場は室町時代中期以降のことであり、戦国時代に入ると、戦国大名による水軍の組織化が進むのと歩をあわせるようにして、毛利氏、武田氏、後北条氏などの有力な大名は少数ながらも配下の水軍に安宅と呼ばれるような大型の軍船を建造させるようになった。 1573年、織田信長は自領の内海となった琵琶湖で長さ三十間(約55m)、百挺立ての大型船を建造した。同年、この大船は坂本から湖北の高嶋に出陣し、木戸城、田中城を落城させている。
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室町時代以前
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平安時代、天慶年間(938年から947年)に平将門が砦を築いたという伝説があるが、文献上は確かではない。
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