室町時代前期の垣屋氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/13 06:32 UTC 版)
山名時氏に従って、但馬に移り住んだのが垣屋家が山名氏に仕えた始まりで、以後代々山名氏の家老となる。垣屋家が最も栄えたのは、明徳2年(1391年)明徳の乱にあたって、大部分は山名氏清・山名満幸に属したのに対し、山名時熙方に属したのは垣屋氏だけだったことが発端である。その結果、明徳の乱を契機として垣屋氏は躍進を遂げることになった。このとき、垣屋家は10万石以上を手にしたとされている。
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