室町時代までの歴史
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「会所 (中世)」の記事における「室町時代までの歴史」の解説
平安時代、寝殿造りの建築にあった来客と主人が対面するところ、客亭(出居)が、太田博太郎らによって、その起源にあげられている。客亭の多くは、二棟廊があてられた。また、形態から見ると、会所は、寝殿造から書院造への過渡期にあたるものとして注目されている。初期の会所とよばれた空間は建物の一部だったり、常御所や泉殿と兼用だったりしたが、室町時代には独立したものも増え、特定の建物に会所の名がついた。 「会所」の語は、平安時代末期から見られる。藤原定家の日記、『明月記』(建仁三年十二月十日条)にある記述は、「会所」の初見とされる。そこには、後鳥羽上皇の宇治御所にあった「風呂御所」のなかに「御会所」があった、とある。これとは別に、平安時代後期、慶滋保胤が尽力した勧学会が初出であるともいう。ここから、重要な史料をいくつか引用していくが、登場する「会所」の語は、太文字にして、強調した。 以下ふたつは、「会所」の語がみえる初期、鎌倉時代での記述である。鎌倉時代初め、鴨長明の『無名抄』「近代会狼藉事」にこう書かれている。 此比の人々の会に連なりて見れば、まず会所のしつらひより初めて、人の装束の打解けたるさま、各が気色有様、乱れがわしき事限りなし 鎌倉時代後期成立した無住編纂の『沙石集』巻八「歯取ラルヽ事」にも、「会所」の語が確認できる。 近世ノ作法、仏の懸記ニタガハズコソ、仏ノ弟子ナヲ仏意ニ背ク、マシテ在家俗士堂塔ヲ建立スル、多ハ名聞ノ為メ、若ハ家ノカザリトス、或ハ是レニヨリテ利ヲエ、或ハ酒宴ノ座席、詩歌ノ会所トシテ、無礼ノ事多シ 『無名抄』にある「会」とは、歌会のことである。『沙石集』では、酒宴の場を座席と、詩歌の場を会所と表現し、どちらからも、会所が文芸に関りの深いところだ、ということが分かる。また、会所に集う人々によって、その場は「乱れがわし」くなり、また、「無礼ノ事多」かった、と批判的に書かれている。 南北朝時代を描いた軍記物語である『太平記』の巻三十七では、足利尊氏方の佐々木道誉が都を落ちるときの話として以下のようなくだりがある。 爰ニ佐渡判官入道々誉都ヲ落ケル時、我宿所ヘハ定テサモトアル大将ヲ入替ンズラントテ、尋常ニ取シタヽメテ、六間ノ会所ニハ大文ノ畳ヲ敷双ベ、本尊・脇絵・花瓶・香炉・鑵子・盆ニ至マデ、一様ニ皆置調ヘテ、書院ニハ羲之ガ草書ノ偈・韓愈ガ文集、眠蔵ニハ、沈ノ枕ニ鈍子ノ宿直物ヲ取副テ置ク、十二間ノ遠待ニハ、鳥・兎・雉・白鳥、三竿ニ懸双ベ、三石入許ナル大筒ニ酒ヲ湛ヘ、遁世者二人留置テ、誰ニテモ此宿所ヘ来ラン人ニ一献ヲ進メヨト、巨細ヲ申置ニケリ
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