室町時代の犬塚氏と小田氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/08 19:25 UTC 版)
鎌倉時代の末期に、後醍醐天皇の皇子懐良親王が征西将軍として九州に下向してきた。これにしたがった筑後宇都宮氏の一派が筑後国三潴郡犬塚郷(現在の福岡県大木町)に土着して「犬塚氏」となった。その後、明応年間(1492-1501年)に犬塚家貞が蒲田郷へ進出し、城原川の東に崎村城(現在の神埼市千代田町崎村地区)を築いて本拠とした。崎村には、このあたりを代表する大きな船着き場があった。 犬塚氏は、城原川の西に蒲田江城を造営し、分家を入れた。崎村城の本家を東犬塚、蒲田江城の分家を西犬塚と称した。このほか蒲田江城の北方にも直鳥城を築いて分家(直鳥家)を設けている。 なお、犬塚家の史料では明応年間(1492-1501年)にこの地へ入って蒲田江に築城したとされているが、それ以前から蒲田江には城があったとする史料もある。正徳年間(1711-1715年)に成立した『九州治乱記』では、南北朝時代の吉野方に与した菊池氏が、正平15年(1360年)に蒲田江城を築いたとされている。そのため、犬塚氏は菊池氏の旧城を修復して利用したのだろうと推測されている。 蓮池城はもともと「小田城」と呼ばれていた。城は蓮池地区と南の諸富町小曲地区とにまたがって位置しており、「小曲城」とも呼ばれていた。これを築いたのは、応永34年(1427年)に常陸から九州へ下向してきた小田直光である。八田知家を祖とする小田氏は常陸国小田邑(現在の茨城県つくば市)を本貫とした氏族で、直光はその分流である。築城時期は応永年間(1394-1428年)とされている。 小田氏は8代160年にわたり、小田城(蓮池城)を本拠地として佐賀郡、神埼郡、筑後国三潴郡にまたがる6000町歩を支配した。平城ながら佐賀江を堀として周囲をかためた小田城(蓮池城)は堅固な要害として知られ、中国地方の大名大内義隆が九州へ攻め込んできたときも、城を守りきり、大内軍は攻城を諦めて引き返したとされている。大内氏を後ろ盾とする佐賀の龍造寺氏と、少弐氏を後ろ盾とする蓮池の小田氏はしばしば争ったが、龍造寺氏も小田城(蓮池城)を攻め落とすことはできなかった。
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