室町時代の朝鮮通信使とは? わかりやすく解説

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室町時代の朝鮮通信使

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 03:57 UTC 版)

朝鮮通信使」の記事における「室町時代の朝鮮通信使」の解説

室町時代の朝鮮通信使は、倭寇への禁圧対策日本要請することが当初の目的だった。倭寇による朝鮮半島での活動13世紀には記録があり、15世紀以降は明が海禁政策によって私的な貿易禁じた影響もあって大規模化した。海賊行為日本国内でも問題になっており、1410年応永17年太宗10年)には朝鮮使者瀬戸内海海賊持ち物奪われる事件起きている。日本では14世紀以降朝鮮との貿易進出する者が増えて朝鮮官職を得る受職倭人朝鮮各地の港で暮らす恒居倭人有力者使いとして訪れ使送倭人呼ばれる者もいた。朝鮮では15世紀から日本人応接する施設として倭館建設する一方倭寇対策として1419年応永26年世宗元年)には対馬攻撃する応永の外寇起きた。のちに対馬対馬宗氏は、朝鮮倭寇対策協力して通信使の交渉役となった。 通信使の目的には日本国情視察含まれており、この時代のもっとも著名な記録は、1443年正長元年世宗25年)の使節書状官をつとめた申叔舟編纂した海東諸国紀』である。この書は朝鮮日本琉球対す外交基礎情報となった申叔舟6代君主仕えて要職につき、世祖時代日本琉球との外交規定基本作った1475年文明7年成宗6年)に死去する前には、成宗に対して日本との善隣関係を維持するよう進言した。また同時代日本では、僧の瑞渓周鳳日本初まとまった外交文書として『善隣国宝記』を著している。

※この「室町時代の朝鮮通信使」の解説は、「朝鮮通信使」の解説の一部です。
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