室町時代の会所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/07 13:59 UTC 版)
建築の形態から見ると、その間取りは、禅宗寺院の方丈との類似が指摘されている。また、主室に三幅対の掛軸を飾り、その前に三具足が置かれたこともあることから、実際に、方丈を意識してつくられたのだろう。建築史家の伊藤毅は、中世の草庵の、中世の会所との対照的なありかたをみて、その関連性を述べている。 室町時代の会所は、時には行幸などの大きな行事にも使われた建物であった。概して、公的な行事よりは、私的な、遊興的な行事で大々的につかわれた。この時代になると、色々な機能をもっていた寝殿造り建築は独立した建物で構成するようになってきた。それに合わせて、建物の一部にあった会所は、室町時代にはいると、やはり独立した建物がその中心になってくるが、室町時代、すべての会所が独立していたわけではない。室町時代初期には、応永度内裏や伏見殿御所など、その場その場で泉殿や小御所を会所に室礼した例もある。また、「会所泉殿」とよばれる建物が史料にいくつか見られることから、泉殿と会所の強い関係性がみえる。 なお、室町時代においては、「会所」を「クワィショ」くらいに発音していたらしい。このことは、以下の記事から推測されている。宮中の女官によって書かれた『御湯殿上日記』長享元年・十一・四条の記事。この「御くわい所」とは、足利義政の東山殿にあった会所のことである。 ひんかし山との御くわい所の御わたましの御れいに。しろ御たちてんそう御つかいにてまいる
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