室町時代の一揆
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 03:08 UTC 版)
「土一揆」、「徳政一揆」、および「国一揆」も参照 金融の発達により、金融業者である酒屋や土倉が富を得るようになると、この借金の棒引きを求めて、武士や浪人を指導層とし、一般庶民が加わった一揆、土一揆、または徳政一揆が頻発することになる。1428年(正長元年)には尋尊によって「日本開白以来、土民の蜂起之初めなり。」と評された「正長の土一揆」が発生している。1450年代から1460年代は特に土一揆が頻発し、三年に一度は発生するようになった。 また武士層の一揆も続けて行われているが、研究上では一般に国人一揆と呼ばれる。これら武家の一揆には、他の参加者を圧倒する正統性や武力を持つ指導者が存在せず、一揆契状に見られるように、局地的には全参加者が平等で民主的な合議制の場合が多く、それ故に迅速で統一的な指導者が存在せず、大部分は一時強勢を誇っても内部分裂等で弱体化し、個別に撃破される場合がほとんどであった。しかし、中には守護など上位者が、地域の中小武士に斡旋して一揆を組織させ、実質上の家臣団として編成する例も見られる。応仁の乱後には広い範囲で国人が集結する山城の国一揆、伊賀惣国一揆、甲賀郡中惣などの国一揆が畿内で発生する。
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