室町時代から戦国時代まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 23:46 UTC 版)
中世には「山科荘」(やましなのしょう)という荘園があり、これを代々保持していた公家の一流は後に山科家と名乗っていたが、戦国時代を代表する教養人として知られた山科言継の代の1548年に室町幕府によってこれを奪われている。 室町時代後期の1478年に蓮如によって山科本願寺が建てられ、長大な土塁に囲まれた寺院群と寺内町が山科盆地の大きな面積を占めるようになった。しかし城郭都市のようになった本願寺の存在と門徒たちの勢いを恐れた細川晴元は、京都市内をほぼ勢力下に置いた日蓮宗徒らと結託して一向宗に打撃を加えようとした。1532年の天文法華の乱では日蓮宗徒たちは山科本願寺を陥落させ焼き討ちした(山科本願寺の戦い)。この後本拠を失った本願寺勢力は大坂(石山本願寺)に移っている。山科本願寺は廃墟と化したが、今も高い土塁の跡が区内各地に残存している。
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