開湯の伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 16:01 UTC 版)
江戸時代に東北地方の旅行記を刊行した菅江真澄(1754年 - 1859年)は、『率土が濱傅ひ(外が浜伝ひ)』(天明8年(1788年))の中で、現地の伝承を紹介した。これによると、温泉は「烹坪(につぼ)」と称し、もっぱら源泉でアサを蒸して繊維をとり、織布とするために利用していたことからかつては「麻蒸」と呼んでいたという。しかし村で火災が頻発したことから、火に関連する「蒸」の字を忌み、「浅虫」と書き表すようになったという。 温泉の発見については伝説があり、平安時代の1190年頃、浄土宗の開祖法然(1133年 - 1212年)が陸奥国を訪れた際、シカが怪我を癒すために湯に浸かっていたのを見出したという。これにはさらに古く遡る異伝があり、発見者を円仁(794年 - 864年)に帰す伝承もある。いずれの場合にも、地元の住民は入浴の効能を知らなかったため、発見者の仏僧が浴用とすることを住民に教えたのだとされる。
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