開湯以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 01:30 UTC 版)
湯宿は永禄4年(1563年、戦国時代末期)に初めて設けられた。真田昌幸は戦乱で荒廃した道路や橋を復旧し、田村彦左衛門を湯守に任命して湯治場を整備した。 その後、徐々に温泉街が形成されていった。現存最古の湯宿である「積善館(せきぜんかん)」は、元禄4年(1691年、江戸時代前期)に開業している。 江戸時代後期に寂れてしまったが、1889年(明治22年)に県道が開通すると、人力車や馬車が通るようになって入浴客が増加し、四万温泉は湯治場として賑わうようになった。その後は、時代が変遷するに連れて半自炊・長逗留の湯治客は減少し、短期宿泊型の観光客が多くなっていった。それでも、群馬県の代表的な温泉の中で最後まで大勢の半自炊の湯治客を受け入れ続けたのは四万温泉であった。
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