比翼塚
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比翼塚(ひよくづか)は、愛し合って死んだ男女や心中した男女、仲のよかった夫婦を一緒に葬った塚。墓。めおと塚。[1]
概要
悲恋と共に伝わる例が多い。一緒になれなかった二人を死後、一緒に祭ったモノも多く、古事記の時代から江戸時代のものまで各地に残る。
通常の墓石の形式から、それぞれの墓を寄り添うように建てる形などがある。
各地の比翼塚
- 木梨軽皇子と軽大娘皇女 兄妹の比翼塚(愛媛県松山市姫原 軽ノ神社付近)
- 蜂谷小太郎と紅蓮尼の比翼塚(宮城県宮城郡松島町 三聖堂)
- 平井権八と遊女小紫の比翼塚(東京都目黒区下目黒 目黒不動瀧泉寺仁王門前)
- 御番所の藩士と遊女の比翼塚(島根県松江市美保関町美保関 獅子ケ鼻からの投身自殺 享保時代)
- お七と吉三郎の比翼塚(東京都文京区 吉祥寺)
- 谷豊栄と盛紫の比翼塚(東京都荒川区 浄閑寺)
- 坂田山心中事件の男女の比翼塚(東京都府中市 多磨霊園)
- 吉野太夫と灰屋紹益の比翼塚(京都府京都市北区 常照寺)
- 三勝と半七の比翼塚(奈良県五條市 桜井寺)
- お夏と清十郎の比翼塚(兵庫県姫路市 慶雲寺)
- 心中雪解車事件の鳴戶と梅田末太郎の比翼塚 (台湾 台北市 三板橋共同墓地)
関連項目
脚注
比翼塚
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「千夜一夜物語のあらすじ」の記事における「比翼塚」の解説
バートン版「オトバーとライヤ(第680夜‐第688夜)」 東洋文庫版「アブド・アッラーフ・ブヌ・マアマル・アルカイシーとオトバ・ブヌ・アルジュッバーンの物語(第680夜‐第688夜)」 アル・カイシの息子アブドゥッラーがメディナのムハンマドの墓に参拝した際、美しい少年が泣いているのが目に入った。少年はアンサール(ムハンマドがメディナに移住(ヒジュラ)した際、ムハンマドを受け入れたメディナの住人)のアル・ジャムーの息子アル・ムンディールの息子アル・フバッフの息子のオトバーで、寺院でお祈りをしていたときに、美しい女性たちの一団が入ってきて、その中のひときわ美しい少女が「オトバー様、あなたと結婚したいと思っている女性と結婚なさいますか」と一言いって出て行き、そのまま見失ってしまったため泣いているのであった。 翌日寺院に行って調べると、少女は遊牧民スライム族の族長アル・ギトリフの娘リヤで、既にユーフラテス河に向けて出発したとのことであった。そこで、アンサールたちはスライム族を追いかけることになり、6日で追いついた。オトバーが結婚を申し込むと、アル・ギトリフは娘を弟の息子に嫁がせるつもりだったので、法外な婚資をふっかけて話を壊そうと思い、婚資として純金の腕輪1000個と、金貨5000枚と、5000個の真珠をちりばめた首飾り1個と、絹織物1000反と、黄皮の長靴12足と、なつめやしの実10袋と、家畜1000頭と、牝馬1頭と、麝香5箱と、バラの香油5瓶と、龍涎香5箱を要求した。オトバーはそれらの品を揃え、リヤと結婚した。 オトバーがメディナにリヤを連れて帰る途中、スライム族がリヤを取り返すため襲いかかり、オトバーたちはスライム族を撃退するが、オトバーは傷を負い死に、リヤも悲しみのため死んでしまった。オトバーとリヤは一緒に埋葬され、墓は比翼塚と呼ばれた。
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