『心中天網島』の舞台
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 01:07 UTC 版)
藤田家本邸は、1912年(明治45年)に当地にあった大長寺の敷地を明治十八年の淀川洪水後に買収して建てられた。美術館正門(現在の藤田邸跡公園のゲート)は当時の山門がそのまま残っているとされるが、実際は違う(大長寺は北に300mほどの場所に移転した)。大長寺は近松門左衛門の『心中天網島』で小春・治兵衛が心中した場所である。この時大長寺は現在地の北に300mほどの都島区中野町2丁目に移転し、小春・治兵衛を供養する比翼塚も同時に移転したのである。したがって、本来の『心中天網島』の舞台は藤田美術館ならびに藤田邸跡公園である。
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