オディロン・ルドンとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 美術家 > 美術家・芸術家 > 美術家 > オディロン・ルドンの意味・解説 

ルドン【Odilon Redon】

読み方:るどん

[1840〜1916フランス画家版画家象徴派文学者たちと親交をもち、暗示性に富む神秘的な画風確立した


オディロン・ルドン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/10 08:00 UTC 版)

オディロン・ルドン
Odilon Redon
1880年
生誕 Bertrand-Jean Redon
(1840-04-22) 1840年4月22日
フランス王国 ボルドー
死没 1916年7月6日(1916-07-06)(76歳没)
フランス共和国 パリ
国籍 フランス
著名な実績 絵画
代表作 キュクロプス
運動・動向 象徴主義
テンプレートを表示

オディロン・ルドン(Odilon Redon、1840年4月20日4月22日とも) - 1916年7月6日[1])は、19世紀後期から20世紀初期にかけて活動したフランス画家である。本名ベルトラン=ジャン・ルドン(Bertrand-Jean Redon)。ボルドーで生まれ、同地及び近郊の町で育つ。

生涯

オディロンは、1840年4月20日、南フランスの大都市ボルドーで生まれた。ファーストネームの第一構成名「ベルトラン」は父ベルトラン(Bertrand Redon)のファーストネームを引き継ぐ形で命名された。しかし、もっぱら用いられたのは、母マリーの通称「オディーユ(Odile)」に由来する愛称「オディロン(Odilon)」で、自他ともに終生この名を用いた。裕福な家庭であったが、生後2日目にしてボルドー近郊の町ペイル=ルバード(Peyre-Lebade、シャトー・ペイル=ルバード)へ里子に出され[2]、11歳までの少年期を寂しい田舎の地で親元を離れて過ごしたとされる。病弱で内向的な性格であったとされ、子供の頃より絵を描き始めるが、父親の意向もあって、建築家となるべくエコール・デ・ボザールの試験を受ける。しかし合格することは叶わず、建築の道は諦めざるを得なかった。なお、弟のガストン英語版は長じて建築家となり、世に作品を残している。

20歳の頃、植物学者のアルマン・クラヴォー(Armand Clavaud、1828-90年)と知り合い、顕微鏡下の世界に魅せられるようになる。のちにルドンが制作した版画には、植物学の影響が見られる。版画集『夢の中で』はクラヴォーに捧げたものであった。

1864年パリに出てジャン=レオン・ジェロームに入門するも数か月でやめ、ボルドーに戻って放浪のボヘミアン画家として知られた版画家ロドルフ・ブレスダンの指導を受ける。また、1878年頃にはアンリ・ファンタン=ラトゥールから石版画(リトグラフ)の指導を受けている。

1870年普仏戦争に従軍。1872年からパリに定住する。1879年、初の石版画集『夢の中で』を刊行した。

1880年、若いクレオールの女性カミーユ・ファルテ(Camille Falte)と結婚。1882年には、新聞社のル・ゴーロワ英語版木炭画版画による個展を開催している。また、ユイスマンスらに注目されている。エドガー・アラン・ポーの作品を意識した2番目の石版画集『エドガー・ポーに』を刊行したのも、この年であった。

1886年には待望の長男ジャンが生まれるも、僅か生後半年で夭折、落胆したオディロンの画風は以前にも増して鬱々としたものになっていった。しかし、3年後の1889年に次男アリが生まれたことで気を持ち直し、人生模様は一変する。画業についても1890年頃から作風が大きく変化し、豊かな色彩を用いるものになった。

1904年、65歳の時にレジオンドヌール勲章を受賞した。1913年には、米国アーモリーショー(米国におけるヨーロッパ現代美術紹介の展示で、マルセル・デュシャンも出品していた)で1室を与えられ、展示した。

1916年第一次世界大戦が激化する中、兵士として招集されていたアリが消息不明になってしまい、ルドンは高齢の身をおして各地を探し回ったが、無理が祟って風邪を拗らせ、パリの自宅で死去した。なお、アリはその後生存が確認され、1972年に83歳で死去した。

題材と作風

オディロン・ルドンは印象派の画家たちと同世代であるが、その作風やテーマは大きく異なっている。光の効果を追求し、都会生活のひとこまやフランスのありふれた風景を主な画題とした印象派の画家たちに対し、ルドンはもっぱら幻想の世界を描き続けた。象徴派の文学者らと交友をもち、象徴主義に分類されることもあるが、19世紀後半から20世紀初頭にかけてという、西洋絵画の歴史のもっとも大きな転換点にあって、独自の道を歩んだ孤高の画家というのがふさわしい。

初の石版画集『夢の中で』の頃から当時の生理学や科学が投げかけていた疑問・問題意識である不確かな夢や無意識の世界に踏み込んだ作品を多く発表した。それらは断頭や目玉など、モノクロの版画であることもあって絶望感もある作品群であるが、人間の顔を具えた植物のようなものや動物のような顔で笑う蜘蛛など、どこか愛嬌のある作品も描いた。

鮮やかな色彩を用いるようになったのは50歳を過ぎてからのことで、油彩水彩パステルのいずれも色彩表現に優れているが、なかでも花瓶に挿した花を非常に鮮烈な色彩で描いた一連のパステル画が知られる。

日本国内では岐阜県美術館がルドン作品を数多く所蔵している。

代表作

版画集

作品

関連文献

自著
単行本
入門書・図録

脚注

参考文献

関連項目

  • 象徴主義
  • 世紀末芸術
  • 美術館のなかのひとたち - 黒田いずま作の美術館を舞台とした4コマ漫画。本作でルドンの作風の変貌がネタにされている。
  • 惡の華 - 押見修造作の漫画。ルドンの初期の版画が多く用いられている。
  • 水木しげる-目玉おやじのキャラクターはルドンの絵にインスパイアされたものと言われている。鬼太郎夜話にはルドンの絵を模写した一コマが出てくる。



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「オディロン・ルドン」の関連用語

オディロン・ルドンのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



オディロン・ルドンのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのオディロン・ルドン (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS