アンデパンダン展
【英】:SALON DES ARTISTES INDEPENDANTS
1884年の春、スーラ、シニャック、ルドン、ギヨーマンなどを含むフランスの反アカデミズムの画家やサロン落選画家たちが独立芸術家集団を組織、同年夏に改組し独立芸術家協会(Societes des Artistes Independants)を結成し、年末に第1回展を開催。その目的は、所定の会費を払えば誰でも出品できる鑑査機構なしの展覧会を組織することにあった。アンリ・ルソー、ゴッホ、ロートレック、セザンヌ、マティス等もしばしば出品するなど、印象派より若い世代の画家の多くがこの展覧会と関連し、20世紀の初めまで重要な美術動向の舞台となった。我が国においても、第2次大戦前に童心芸術社と二科展主催のものがあったが、1946年に日本美術会が設立され、民主的立場に立った日本アンデパンダン展を開催。これとは別に1949年、読売新聞社主催で同名の展覧会が開始され、しばらくは並例して進んだが読売アンデパンダンと改め、63年ダダ化が進むなかで中止に至る。
アンデパンダン展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/01 23:50 UTC 版)
アンデパンダン展(アンデパンダンてん、Salon des indépendants)は、無審査・無賞・自由出品を原則とする美術展であり[1][2][3]、1884年にフランスのパリで初めて開催され、その後、世界中に広がった。各国にも影響を与えており、パリの同展の形態を理想とした、別組織による同じアンデパンダンの名を冠した独自の展覧会が日本など世界各国で開催されるようになった。現在は、それら他国の展覧会と区別するため、パリのアンデパンダン展についてはパリ・アンデパンダン展と表記されている。パリ・アンデパンダン展は、現在世界中で開催されている諸派の垣根を越えたアーティスト達によって行われる無審査大型展としては最も早く誕生した歴史的な美術展覧会。
- ^ a b “Histoire du Salon des Indépendants” (フランス語). Salon des Indépendants. 2020年3月29日閲覧。
- ^ “日本美術会ホーム”. www.nihonbijyutukai.com. 日本美術会. 2020年3月29日閲覧。
- ^ “アンデパンダン展”. コトバンク. 2020年3月29日閲覧。
- ^ Société des Artistes Indépendants, History Artistes-independants 2023年12月2日閲覧
- ^ “Salon ART CAPITAL” (フランス語). artcapital.fr. Salon ART CAPITAL. 2020年8月7日閲覧。
- 1 アンデパンダン展とは
- 2 アンデパンダン展の概要
アンデパンダン展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/03 06:19 UTC 版)
「サロン・ドートンヌ」の記事における「アンデパンダン展」の解説
だが、この後もさらに1884年に同年のル・サロンの審査に落選したアルベール・デュボワ=ピエ、オディロン・ルドン、ジョルジュ・スーラ、ポール・シニャックらが独立(アンデパンダン)美術家協会(Société des artistes indépendants)を結成し、新進画家のセザンヌ、ゴーギャン、ロートレック、カミーユ・ピサロらとともに無審査、無賞、自由出品を原則とするアンデパンダン展を開催することにした。独立芸術家協会の初代会長にはアール・ヌーヴォーの建築家エクトール・ギマールが就任した。第1回展はシャンゼリゼ通りの産業宮(フランス語版)の近くで同年12月1日に開催され、以後、ル・サロンの「落選者」も落選展からアンデパンダン展に発表の場を移した。
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