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谷内栄次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/11/18 00:10 UTC 版)

谷内 栄次(たにうち えいじ、1928年 - )は日本の画家

日本美術会事務局長、同会附属研究所「民美」所長、同会代表、同会主催日本アンデパンダン展実行委員長を歴任。

経歴

  • 1928年東京都生まれ[1]
  • 1955年日本美術会会員となる[1]
  • 1958年、『生命のひみつをさぐる』(石田周三、日本児童文庫刊行会、アルス日本児童文庫61、1958年)[2]に挿絵。
  • 1964年2月、日本美術会事務局長に選出される。1967年まで[3]。同年、伊藤和子[4]らと美術グループ「日本現実派」を結成[1]
  • 1967年7月、日本美術会の代表として東ドイツの「ケーテ・コルヴィッツ生誕100年記念」国際版画展、同国際美術会議に派遣される[3]
  • 1969年、日本現実派解散[4]
  • 1973年2月18日3月2日開催の第26回日本アンデパンダン展実行委員長となる[3]
  • 1975年葉山嘉樹『海に生くる人々』(新日本文庫)のカバー絵を担当。
  • 1985年6月、日本美術会附属研究所「民美」所長に選出される。1989年まで[3]
  • 1987年3月、『文化評論』誌(新日本出版社)にエッセイ「アンデパンダン展の40年」を発表[5]
  • 1995年7月、第34回日本美術会総会で代表となる。2001年8月まで[3]
  • 1998年7月、「熱い国からきたアート 《キューバ現代美術展》」に協力。
  • 2001年2月、第54回日本アンデパンダン展に「母子」[6]を出品。
  • 2002年5月、東京都内のギャラリーで個展。
  • 2004年6月、『九条の会』アピールを広げる美術の会」(略称・九条美術の会)の呼びかけ人になる[7]
  • 2006年2月、国立市在住者として、同市の平和都市条例制定を求める市民団体の呼びかけ人となる。同年10月、東京都内のギャラリーで個展[8]

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