アトランタ五輪で銅メダルとは? わかりやすく解説

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アトランタ五輪で銅メダル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 22:18 UTC 版)

有森裕子」の記事における「アトランタ五輪で銅メダル」の解説

1995年五輪選考レースだった北海道マラソンバルセロナ五輪以来、約3年ぶりのフルマラソン出走する。そのレース前日の記者会見有森は、今まで苦悩思い巡らせながら「もう一度スタートライン立てて嬉しい」と涙を見せた北海道マラソン当日は、気温25前後小雨涼し好条件の中をスタート有森レース前半から独走となり、粘り強い走り復活大会初のサブ30となる2時間2917秒の当時大会新記録を樹立し、マラソン初優勝達成。この成績高く評価されて、アトランタ五輪女子マラソン代表に選出。二大会連続五輪出場となった1996年アトランタ五輪女子マラソン本番での有森は、30Km地点2位集団抜け出してスパートトップ走っていたファツマ・ロバエチオピア)を追いかけ始める。その後33Km過ぎでは、前回バルセロナ五輪続いてワレンティナ・エゴロワとの激闘繰り広げた。しかし35Km手前でエゴロワとは徐々に引き離され苦し表情浮かべながらも3番手の位置死守していた。 そして有森優勝したファツマ・ロバ2位のエゴロワに続いて陸上競技場へ入る。4位のカトリン・ドーレゴール直前追い上げられたが、わずか6秒の差で逃げ切って3位入賞銅メダル獲得した。二大会連続五輪メダル獲得は、日本女子陸上選手では有森が初である。 ゴール後のインタビューで「メダルの色は、かもしれませんけれども……、終わってから、なんでもっと頑張れなかったのかと思うレースはしたくなかったし、今回はそう思っていないし……、初め自分自分ほめたい思います」と涙ながらに語った姿は感動呼んだ。「自分自分ほめたい」という言葉フォーク歌手高石ともや書いた詩の一節引用したもので、この詩を初め聞いたとき涙を流して感動し、いつかこの言葉言いたい暖めていたもので、その年の流行語大賞選ばれた。なお、「自分自分をほめてあげたい」は誤記である。 この年肖像権自主管理それまで日本陸上選手は、日本陸連選手から肖像権預託を受け、陸連日本オリンピック委員会一括して委託していた)を主張し、自らプロ宣言行いCM出演事実上日本の「プロランナー」第1号となった有森プロ宣言上述ライツ影響もあり、日本オリンピック委員会選手肖像権一括管理断念した

※この「アトランタ五輪で銅メダル」の解説は、「有森裕子」の解説の一部です。
「アトランタ五輪で銅メダル」を含む「有森裕子」の記事については、「有森裕子」の概要を参照ください。

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