強運の軽量力士
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 03:24 UTC 版)
栃錦は、戦後最初の場所となった1945年11月場所において十両4枚目格で番付に復帰した。当時の復員力士については番付復帰後1場所は休場しても地位が据え置かれる救済措置が取られていたが、栃錦はこれを受けずに出場し、6勝4敗と勝ち越した。1946年11月場所は東十両筆頭で迎えたが、相手力士の負傷による痛み分けとして6勝6敗1分と勝ち越せず、幕内昇進は厳しいと思われたが、安藝ノ海節男ら4力士が引退したことで、1947年6月場所で新入幕を果たす。入幕時の体重は僅か75kgしかなかった。この場所は4勝6敗と負け越したが、当時はまだ東西制が実施されていた時代で、翌場所の十両陥落を免れた。なお、東西制はこの場所限りで廃止され、翌場所から系統別総当り制が実施されたこともあり、十両陥落を免れた栃錦にとっては非常に強運だった。
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