酒関連
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 09:14 UTC 版)
「若乃花幹士 (初代)」の記事における「酒関連」の解説
関取昇進時、弟弟子たちと夜通し祝杯をあげていて、金が足りなくなり、慌てて東富士に金の無心をした。東富士としては、前記の通り可愛がっていた相手であり、すぐに金を出してやって店の方とはそれですんだが、後で相撲協会の側で「新十両の分際で酒代が足りなくなって横綱に借金を申し込むとは」と問題視された。中には除名まで主張する意見もあったが、羽黒山のとりなしもあって救われた。「あの2人(東富士と羽黒山)には足を向けて寝られません」と後々まで語っていたが、やがて入幕してこの恩人2人から金星を奪い恩を返している。横綱会では毎回真っ先に立浪親方(羽黒山)に酌をして、「あの時助けてくれたおかげで今の自分がいます」と言っていた。ちなみにこの時もっとも強硬に厳罰を主張したのが大関の汐ノ海で、その汐ノ海にも幕内で2戦2勝している。 無類の日本酒好きであり、取組前には酒を口に含んで体に霧吹きをしてタオルで磨いていたという。体に赤みがかかり香りがつく効果を利用し、土俵上での華麗さを演出するための行為であったとされる。酒豪ぶりと合わせて健啖家でも知られ、弟弟子の若秩父と博多の屋台を3軒ハシゴしては材料切れになって酒も肴も出ないようにしてしまったという伝説も残っている。「力士はウイスキーを飲むと腰が軽くなる」という持論を持っており、弟子には日本酒を勧めていたが自身はウイスキーを飲むことの方が多かった。前述の通り日本酒の方を好んでいたが、旨すぎて際限なく飲んでしまうという理由でウイスキーの方を主に飲んでいたという。 花籠部屋時代の弟弟子や二子山部屋の弟子が二日酔いなどで稽古に遅れると、その場では弟子を一切とがめない代わりに、いつも以上に激しい稽古をつけた。その伝統は大師匠の玉錦、師匠の大ノ海から受け継がれた姿勢だという。 自身の部屋持ち時代の各相撲部屋内における未成年飲酒が横行していた背景には「酒で体を作る」という迷信が角界に蔓延していたからであるといい、当時の風潮があったにせよ二子山部屋では特にそれが顕著だったと伝わる。入門当初、まだ15歳にも拘らず二子山によって無理やり酒を流し込まれた少年期の貴ノ花は小児性胃炎にかかり、これによって生涯肝臓の不調に悩まされた事実が小説家の石井代蔵によって明かされており、これは汚点として後年まで残っている。
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