酒造統制の例外
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/11/09 06:06 UTC 版)
当時の幕府の法令は、今でいえば日本全国を対象とする法律であって、それに対し今の地方自治体が定める条例のように、江戸時代にも特定の藩や地域だけに認められた法度もたくさんあった。酒造りに関しても、たとえば秋田藩や会津藩のように、領内の産業育成であるとか、財政の建て直しであるとか、幕府も納得する理由のもとに醸造業の改善や拡大を企画するときには、たとえ全国的には酒造制限期であっても特例として許可されることがあった。今でいう経済特区や構造改革特区のようなものである。 江戸時代を通じて、基本的に酒はその造り方、流通、販売に至るまで商人がプロデュースするものであったが、上記のような理由から藩という地方自治体が酒造りを立案し、伊丹や灘や奈良など当時の酒造先進地域より酒師(さかし - 杜氏とほぼ同義)や麹師(こうじし)といった技術者を少なからぬ藩費で招聘し、土地の大商人に醸造設備などを整備させて始めた地酒のことを、後世から便宜上藩造酒(はんぞうしゅ)と呼ぶ。藩造酒は必ずしも成功しなかった。その行く末は、各藩によっていろいろである。東北・北陸地方がさまざまな艱難辛苦を乗り越えて、ようやくその地方の地酒の名声を全国に知らしめるようになったのは、むしろ明治時代後期である。
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