誕生~初土俵、入幕とは? わかりやすく解説

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誕生~初土俵、入幕

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 08:44 UTC 版)

男女ノ川登三」の記事における「誕生~初土俵、入幕」の解説

1903年9月17日茨城県筑波郡菅間村現在のつくば市磯部)で農家を営む一家三男として生まれる。元々は屋根修理屋働いていたが、ある時修理中の屋根踏み抜いてしまい、その力の強さ驚いた周囲勧め地元相撲大会出場するといきなり優勝してしまった。そのまま筑波郡大会茨城県大会で優勝し自信持って力士志すようになった。そんなある日、偶然茨城県巡業来ていた阿久津川高一郎訪ねて入門志願するものの、最初厳し稽古の話に終始したため諦めて戻るが、力士目指す気持ちが全く揺るがなかったために4度訪問して、ようやく入門許可された。 当初富士ヶ根部屋入門する予定だったが、1923年9月1日関東大震災によって部屋焼失したため、同じ一門本家である高砂部屋入門した四股名出身地である茨城県筑波郡と、百人一首でもお馴染みである「つくばねの みねよりおつる みなのがわ」から男女ノ川 供次郎とした。 1924年1月場所初土俵を踏むと、負け越し知らず1927年1月場所には新十両昇進1928年1月場所新入幕果たした1929年5月場所には「朝潮 供次郎」と改名した当時朝潮同じく体格良い出羽ヶ嶽文治郎や、ともに「将来大関横綱」として並び称され武藏山武との取り組みは非常に人気があり、このためだけに両国国技館18年ぶりに満員札止めになったこともあった(1930年1月場所千秋楽)。さらに、武藏山武との取り組み松内則三によって実況中継され、大変な人気となった

※この「誕生~初土俵、入幕」の解説は、「男女ノ川登三」の解説の一部です。
「誕生~初土俵、入幕」を含む「男女ノ川登三」の記事については、「男女ノ川登三」の概要を参照ください。

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