引き揚げ事業の実施
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実際の引き揚げ事業も上記5つの軍管区ごとに実施された。さらに「日本陸海軍の移動に第一優先を、民間人の移動に第二優先を附与すべし」との連合軍の指示により、軍人軍属の帰還より始められた。 陸軍の復員業務は、ソ連軍管区地域にて抑留された軍人を除いて、1948年(昭和23年)1月までにほぼ完了した。海軍の復員は、1947年(昭和22年)末までにおおむね完了した。その後、一般の日本人の帰還が行われた。一般日本人の帰還にあたっては、現金1000円と自力で運ぶことができる若干の荷物のみ帯行が許された。引き揚げにあたっては、敗戦時までに残っていた旧日本軍の艦船や民間船舶のみならず、アメリカ合衆国政府より、リバティ型輸送船(7000トン)を100隻、LST艦(戦車揚陸艦3000トン)を85隻、病院船6隻が貸与された。 詳細は「復員輸送艦」を参照 引き揚げ者は、厚生省が開設した引揚港から上陸した。以下の18地域において、「地方引揚援護局」あるいはその出張所がおかれた。浦賀、舞鶴、呉、下関、博多、佐世保、鹿児島、函館、大竹、宇品、田辺、唐津、別府、名古屋、横浜、仙崎、門司、戸畑である。引き揚げ事業開始から4年が経過した1949年(昭和24年)末までに、軍人軍属を含む624万人が帰還した。引き揚げ開始から約30年が経過した1976年(昭和51年)末には、629万人(軍人軍属311万人、一般人318万人)が帰還している。 結果的には、引き揚げ開始から4年間で99パーセントを超える日本人が日本に戻ってきたことになる。この事業は極めて広範囲かつ大規模であり、人類史上最大の短期的かつ集団的な人員移動といえる。
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