引き揚げと修復
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/25 14:15 UTC 版)
「グラフ (潜水艦)」の記事における「引き揚げと修復」の解説
潜水艦が到着した2日後に英国から英潜水艦の艦長 ジョージ・カルヴィン(George Colvin)大尉 がU-570の初期検分と引き揚げを行うために技術曹長と民間の技術者の一団を率いてソゥルラゥクスホプンに到着した。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}当時、潜水艦は舷側を浜辺に横たえて、右舷側(海岸側)に酷く傾いていた。座礁している場所は、緩やかに傾斜した柔らかな砂地で南東側が完全に海に開け、潜水艦は穏やかに打ち寄せる波により浜にしっかりとうち上げられていた。艦内は灯火が無く混沌とした状態:内部タンクのグラスゲージを破って漏れたオイルや水が大量の糧食、小麦粉、乾燥エンドウや豆、柔らかい果実、衣類、寝具類や沢山の黒パンの塊といったものと共に膝まで達する怖気を催させるような水溜りを形成していた。後に判明したことは、この艦の乗組員用トイレは食糧倉庫として使用されており、ひっくり返った排泄物入りのバケツがこの全般的に不快な状況に輪をかけていたということであった。 —Lieutenant GR Colvin, RN、Ex-German Submarine "U 570" - Report of Proceedings (3rd October, 1941) カルヴィンの班は照明と浮揚性能を回復させることに成功、U-570は再度海に引き出されてクヴァールフィヨルズル (Hvalfjörður、ハヴァルフィヨルドとも) にある英海軍基地まで海岸沿いに曳航され、そこで自力で英国まで航行できるように修理が施された。 英国側は爆雷がUボートに与えた損害が甚大なものではなかったことを発見した。幾つかのバラストタンクの漏れと燃料タンクにも少量の漏れが生じ、全バッテリーの約1/3に亀裂が入り、艦首は歪んでいた。爆発により脱落したバルブや割れたグラスゲージからの漏水はあったがその他の損傷は軽微であり、塩素ガスが発生した形跡は見当たらなかった。報告所の中でカルヴィンは、如何なるダメージコントロールも実施された形跡が無く、経験を積んだ潜水艦乗組員であれば簡単に応急修理を施し潜航を続行、恐らく航空機からの攻撃をやり過ごせていたであろうと述べた。降伏後に潜水艦の乗組員は機器や装備品を破壊しようとした。破損した通信機と損傷した魚雷発射管制器(torpedo firing computer)は半ば破壊しようとした跡が残されてはいたが、その程度は酷くなかった。情報価値の高い書類も破棄され損ねており、暗号電文の写しやU-570側の応答文、平文やドイツ語の文書が発見され、これらは英国の暗号解読作業(code breaking)に使用された。意義深い発見はUボート艦長のハンドブックであった。これには暗号電文の文脈(context)や背景情報が記されていた。英国側はドイツ海軍の手続き、略語、隠語といったものに詳しくなく、ドイツ海軍の通信を解読できた場合でも理解不能なことがあった。 U-570は、修理及びエンジン、操舵試験のためにハヴァルフィヨルドで3週間を費やした。9月23日には調査のためにアイスランドに派遣されて来た米海軍の将校による綿密な点検を受け、艦から取り出されたG7a魚雷が米国側に引き渡された。ある一点のことを思い出した目撃者によると、信号灯で「コノ******ハ、ワガ物ナリ」("This ****** is mine.")とモールス信号を発しながらU-570の上空を低空で航過した1機のハドソン爆撃機がいた。 9月29日にU-570は、カルヴィン大尉指揮の下で英海軍の選抜乗組員(prize crew)の手により英国へ向け出航した。ソゥルラゥクスホプンでの座礁により潜舵を損傷していたために航海は駆逐艦「サラディン」(HMS Saladin)が護衛についての浮上航行であった。10月3日のバロー・イン・ファーネスへの到着は、パセ・ニューズ社(Pathé News)のニュース・フィルムに記録され、報道機関で報じられた。この鹵獲は、後に英国のプロパガンダで使用された。U-110(鹵獲後、曳航中に沈没)のように、その他数隻のUボートの鹵獲はドイツの暗号表とエニグマ暗号機を押収したことを秘匿するために秘密とされたが、U-570の件は既にドイツ国防軍最高司令部に報告されており、余りにも多くの艦船、航空機、人員がこの鹵獲作業に係ったために秘密保持の試みは無駄であると判断された。 U-570は、バローのヴィッカース社(Vickers)造船所内にある乾ドックに収められた。爆雷により損傷した艦首の修理は難航した。艦殻が歪んだため、4発のG7e電気推進式魚雷が発射管の中に装填されたまま取り出せずにいた。英海軍の魚雷/機雷調査部門から2名の将校が、魚雷抜き取り作業検分の使命を帯びて派遣されて来た。将校の監督の下、ボランティアの造船所作業員が信管の作動している魚雷を取り出せるようにガス切断機で作業をしている間はドック内からの退避が命じられた。その後に将校の一人、マーティン・ジョンソン(Lt Martin Johnson)大尉が魚雷から磁気信管(Magnetic pistol)を取り外し、無力化した。信管は敏感な構造であり、致命的な爆発を引き起こすには十分な大きさであったため、これは危険な作業であった。この功績によりジョンソンは、1942年12月8日にジョージ勲章(George Medal)を授与された。 U-570の携行していたドイツ海軍旗の1枚はハドソン爆撃機の操縦士、ジェームズ・トンプソン(James Thompson)少佐に贈呈され、現在はイギリス空軍博物館の収蔵品の一つとなっている。トンプソンと同乗の航法士/爆撃手、ジョン・コールマン(John Coleman)中尉にも1941年9月23日に空軍殊勲十字章(Distinguished Flying Cross)が授与された。
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