帰還と帰郷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 13:57 UTC 版)
伝染病の蔓延を恐れたGHQが、日本政府に検疫措置の厳格な履行を求めたので、引き揚げ船で前述の港にたどり着いた引き揚げ者達には、厳しい検疫が課せられた。厚生省の記録によれば、栄養失調症、マラリア、結核、脚気等の罹患者は、引き揚げ者全体のうち10パーセントにのぼり、1950年(昭和25年)末までに、18万人が最寄りの国立病院等に搬送され、うち3980人の死者数を記録する。 1946年(昭和21年)4月には、広東から浦賀に入港した引き揚げ船においてコレラが発生したため、20隻もが海上隔離のため沖合停泊を命ぜられた。7万人近い引き揚げ者が、祖国を目の前に待機を余儀なくされ、うち70名が死亡した。 入港後の引き揚げ者には、旧兵舎を利用したあるいはバラック造りの宿泊所が無料で提供された。食事も無料で提供され、主食は1日400グラムとされた。当時の一般国民への配給が310グラムであったのに比べ優遇されていた。また、1人100円(1世帯では500円)を上限にして、上陸港から郷里までの旅費も提供された。 その後、引き揚げ者は、居住地の移動証明書に代わる引き揚げ証明書をもらい、郷里へと向かった。鉄道輸送力が荒廃していた時代であるが、引き揚げ者輸送のため、特別列車(いわゆる復員列車・引揚列車)が他に優先して運転された。
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