帰還を決断
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 08:24 UTC 版)
385年3月、呂光は西域を平定して以降、亀茲での暮らしが豊かである事から、次第にこのまま西域に留まろうと考えるようになっていた。呂光がかつて亀茲を攻略した時、令名を馳せていた西域僧である鳩摩羅什を捕らえており、庇護下に置いていた。その鳩摩羅什は進み出て「ここは凶亡の地であり、留まるには足りませぬ。将軍はただ東帰すれば、その中道に居すべき福地がありましょう」と述べ、呂光へ東に帰還する事を勧めた。この進言を受け、呂光は群臣と大いに酒宴を催すと、広く進退について議論した。するとみな郷里への帰還を望んだので、呂光はこれに従う事とした。そして、2万頭余りの駱駝に西方の珍宝や奇玩・怪獣千品余りを載せ、駿馬1万匹余りを引き連れ、亀茲を出立した。
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