帰還と再度の亡命
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 14:13 UTC 版)
「モイーズ・チョンベ」の記事における「帰還と再度の亡命」の解説
1964年1月以降、コンゴ国内の反政府勢力が武力闘争を激化させるに伴い、シリル・アドゥラ首相の内政手腕の欠如が露呈した。騒乱の早期平定を望むカサブブによってチョンベはスペインから呼び戻され、同年7月に首相として組閣に至る。しかし、再びカサブブとの対立が激化し、1965年10月に首相を解任された。同年12月、ジョゼフ・モブツによるクーデターが起き、チョンベは再びスペインへと亡命した。1967年には不在のまま死刑判決を受けている。 1967年6月30日、チョンベはイビサ島を訪れた後にパルマへ向かう飛行機に乗り込んだが、離陸直後にチョンベのボディーガードとして潜入していたフランスの防諜・外国資料局のエージェントによって拉致。ハイジャックされた飛行機もアルジェリアの空軍基地に着陸させられチョンベは軟禁された。コンゴ政府からの送還要求、西側諸国による解放要求は共に拒否され、チョンベはアルジェリアで軟禁状態に置かれたまま1969年6月29日に心不全で死亡した。ベルギー・エテルベーク墓地のメソジストの区画に埋葬されている。
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